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スポーツ 上原浩治のTrust Pitch! vol.9 ゴールはひとつに 上原浩治のTrust Pitch! ボストン・レッドソックス投手

スポーツ
 
こんにちは、上原浩治です。
 
 もうすっかり夏やなぁ・・・。少々夏バテ気味の人もいるかもしれませんが、しっかり食べて、暑さに負けないようにしてくださいね。
 
 ちなみに、ぼくはすこぶる元気です。背中のケガは気になるところですが、体調は万全。人間、調子のいいときもあれば悪いときもありますが、元気が一番! ということで、今日は「調子の良し悪し、みんなそれぞれあるけれど」というテーマで話をしようかな。
 
 

調子が悪い時期に何をする?

 
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サイン会でファンと交流する上原投手
 ときどき 「調子が悪い時期はどんなことを考えて日々を過ごしているんですか?」 と聞かれることがあるけど、ぼくの場合は何も変えずにやっている感じですね。自分のペースを崩さない。
 最近の一日は、10:30くらいに起き出して、一日の準備をして、昼ご飯を食べに行く。お昼を食べ終わってから球場入りするケースがほとんどですね。夜は、試合が終わって帰ってきて、まずはお風呂に入って、今は背中を痛めているので入念に患部のケアをします。で、1時間くらい自分の時間をもって、2:00ごろには就寝。そんなリズムの生活ですね。
 自分の時間は、割とブログの返信をすることが多いかな。ファンのみなさんが書き込んでくれるので、それにきちんと返信する。そうそう、ぼくがマメに返信してると話したら、B-plusの担当・泉さんが 「本当なんですか?」 なんて驚いていたけど、ぼくだってちゃんと返信するっちゅうねん! ほんま勘弁してよ、泉さん(笑)。
 
 ま、そんなこんなで、何も変えずにやることをきちっとやっていく。それが大事だと思うんですよね。ここでいう 「やる」 というのは、ぼくの場合は練習と、今はリハビリです。このコラムでも何度か書きましたが、メジャーはとにかく結果重視。でも練習しないと当然結果はついてこないわけですから、サボってなんていられないわけですよ。
 
 

努力あってこその現役生活

 
 メジャーってね、何がすごいかって、3年たてばまるで違うチームになってしまうんです。ぼくがレンジャーズに来たのが昨2011年の7月30日だったので、このチームでももう一年が過ぎました。(早かったな~) で、古巣のオリオールズの顔ぶれを振り返って、もう半分近いメンバーが入れ替わってる。成績が悪ければ、チームの顔だろうがなんだろうが、あっさりクビを切っちゃうのがメジャー流。日本では考えられないくらい、一日一日が真剣勝負の連続です。
 だからこそ、自分を見失わず、ペースを崩さないことが重要なんだと思うんですよ。調子が上がらないときやケガをしてしまったときは、焦ってしまうこともあるけど、できるだけ平静を保つ。そう言い聞かせてますね。
 
 

ゴールをひとつに絞り込む

 
 メジャーのルーキーもそうですけど、ビジネスの現場でも、新人たちが自分を見失いやすい時期って、ちょうど今くらいですよね。「本当に今の仕事がしたいんだろうか。自分の目指す方向性は間違っていないだろうか。自分は結局何がしたいんだろうか」―― 忙しくなる時期ですし、暑さに負けて気持ちも沈みやすいから、そういう迷いに陥りやすいものです。
 
 ぼくのルーキー時代は、自分が好きなことをしてお金をもらえていたことと、おかげさまで成績も悪くなかったので、夏ごろはプロ野球の世界が楽しくなってきていました。なぜ迷わなかったのか。周囲の支えがあったこともありますが、どこにゴールを持っていくかが明確で、そこにまっすぐ迎えていたからだと思いますね、今から振り返ると。
 迷いって、いろんな選択肢があって、いろんなゴールがあるから生まれるものじゃないですか。5~6個の選択肢や方向性があり、5~6個のゴールがあると、進むべき道を決めあぐねてしまいますよね。
 まずゴールをひとつに絞り込んでしまうことが大事なんじゃないかな。ゴールがひとつならば、最終的にそこにたどり着ければいいわけで、目指す先がわかっているから気持ちも楽になるでしょ?
 
 そう言うぼくの今のゴールは、野球を長く続けること。そのために必要なことを毎日やっているだけなんです。練習をするのも、リハビリをするのも、一日でも長く野球をやっていたいから。今年のシーズンが終われば、またフリーエージェントになります。もしチームが変わったとしても、「野球を長く続けたい」というゴールは変わることはないんですよね。

 執筆者プロフィール 

上原浩治 Koji Uehara

ボルチモア・オリオールズ投手

 経 歴 

大阪府出身(出生は鹿児島県)。東海大学付属仰星高校から大阪体育大学に進学し、大学3年時に日本代表に選出。1997年に出場したインターコンチネンタルカップ決勝では、当時国際大会151連勝中だったキューバから先発勝利をあげ、注目された。ドラフトで読売ジャイアンツに1位指名(逆指名)を受け、1999年に入団。ルーキーイヤーに20勝投手となり、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の4冠を獲得し、新人王と沢村賞も受賞。翌2000年は肉離れのため登録抹消となるなど、ケガに苦しむシーズンを送るも、2002年に再び17勝をあげ、優秀選手賞を受賞。2004年にはアテネオリンピック野球日本代表に選出され、銅メダル獲得に貢献。2006年のワールド・ベースボール・クラシックでも日本代表のエースとしてチームを優勝に導いた。2009年にボルチモア・オリオールズに入団。ベテラン投手の一人としてチームを牽引している。

 
 
 
 

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