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スポーツ 上原浩治のTrust Pitch! vol.10 メジャー復帰で思うこと 上原浩治のTrust Pitch! ボストン・レッドソックス投手

スポーツ
 
こんにちは、上原浩治です。
 
 最近、ちょっと我が家で面白いことが起きているんです。なんと、自宅が 「居酒屋KOJI」 と化していまして、とにかくひっきりなしにお客さんがやってくる。そのお客さんというのは、スポーツジャーナリストや記者の方々なんですけど、どういうわけか僕がお酒をふるまって、上原家で仲良く飲んでいるという構図ができあがっているんです。
 だから、最近は野球のほうを頑張りながら、お酒の仕入れも忙しいという状態(笑)。 あ、ほんまに居酒屋オープンしているわけじゃないですからね! いきなり一般人のお客さんが来たら、そらもう大変なことになってしまうからね(笑)。
 
 

メジャー復帰で思うこと

 
 さて、おかげさまでメジャーへ復帰しました。「おめでとう」 という言葉をよくかけられるのですが、実は 「おめでとう」 「ありがとう」 という気持ちではないんですよね。正直言えば 「めっちゃ悔しい」 という一言に尽きます。
 本来ならば、怪我なくフルシーズン稼動することが役割なのですから、戦線離脱をするのは苦しいことこの上ない。もちろん無事に復帰できてよかったですが、そこは厳しいメジャーの世界。成績を上げなければ認められません。
 マイナー生活で、「早くメジャー復帰するために焦りはなかったか?」 とも聞かれるけど、そこは焦ってもしゃあない。何回もこういう経験はしているし、苦境をバネにして・・・ という美談めいた話でもない。ただ、今回は一度復活しかけた矢先に怪我が再発してしまったので、いつもより悔しい気持ちが強かったですね。年齢的にいつまで現役を続けられるかわからない状況ではありますし。常に引退と背中合わせですからね。
 
 

よみがえる先輩の記憶

 
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マイナーリーグの外野席から相手チームの
練習をながめる。降格中の心境やいかに。
 
 だから、怪我をしたり逆境にあっても長く続けていけている先輩は、本当にリスペクトしてきました。そういう人たちの教えやアドバイス、語っている背中が記憶によみがえってくることもあります。
 巨人時代にお世話になった桑田(真澄)さんは、「上ばかり見るな」 と言ってくれたことがありました。自分より下の人がいることも頭に入れておけ、と。上ばかり見ていると息苦しくなってしまうから、と。たまには下を見て、自分の位置を確認するのもよし、ということだったんですよね。もちろん上を見なくなってしまうと成長はなくなりますから、そこはバランスの問題ですけども。
 巨人時代、工藤(公康)さんは背中で語るタイプでしたね。年齢を重ねても野球に食らいついていく姿を見て、どこにそんなモチベーションが隠されているのかと聞いたことがありました。工藤さんは 「家族がおるからな」 と笑って話しておられましたが、それは事実ですけど、本音ではないでしょうね。その背中が、やはり野球をしたい、野球を続けたいと語っていましたから。
 実際、野球選手なんてのは現役が華なんですよ。現役でやっているということが大事なんです。だから僕も、1年でも長くやりたい。1日でも長くマウンドにいたい。だからこそ、マイナーで怪我を治していたときは、焦りはしないけれども、悔しい思いでいっぱいだったんです。
 
 

“一球入楽”、それがすべて

 
 今シーズンはこれから1ヶ月しかないですが、僕はひとつ決めていることがあります。それは 「いかに楽しく過ごすか」 ということ。勝たなきゃいけないし、ワールドシリーズにチームを進出させたい気持ちはあります。ただ、それを背負いながらも、一球一球楽しく投げていきたい。来年現役を続けられるかどうかは誰にもわからないから、リーグだけで今年を終えたくないんですよね。
 でも、「わからない」 なんて言いながら、リーグが終わったら、次の年のことを考えてる自分もいるんですよ、きっと(笑)。 シーズンは2月のキャンプから始まるから、ワールドシリーズに進まない場合は、11月から1月の間をどう過ごして体を作っていくか。体作りにかかる準備時間は年々長くなっているから、オフに入ったら少し家族サービスをして、すぐ自主トレ。引退と背中合わせですが、そうやってやはりまた来年に備えて体を作っている自分が、きっといるんでしょうね。
 
 そうして次のシーズンを無事迎えられたら、野球人としてどれだけ喜ばしいか。そのときは、またこのコラムで続きを語らせてもらいますよ(笑)。

 執筆者プロフィール 

上原浩治 Koji Uehara

ボルチモア・オリオールズ投手

 経 歴 

大阪府出身(出生は鹿児島県)。東海大学付属仰星高校から大阪体育大学に進学し、大学3年時に日本代表に選出。1997年に出場したインターコンチネンタルカップ決勝では、当時国際大会151連勝中だったキューバから先発勝利をあげ、注目された。ドラフトで読売ジャイアンツに1位指名(逆指名)を受け、1999年に入団。ルーキーイヤーに20勝投手となり、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の4冠を獲得し、新人王と沢村賞も受賞。翌2000年は肉離れのため登録抹消となるなど、ケガに苦しむシーズンを送るも、2002年に再び17勝をあげ、優秀選手賞を受賞。2004年にはアテネオリンピック野球日本代表に選出され、銅メダル獲得に貢献。2006年のワールド・ベースボール・クラシックでも日本代表のエースとしてチームを優勝に導いた。2009年にボルチモア・オリオールズに入団。ベテラン投手の一人としてチームを牽引している。

 
 
 
 

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