幼い頃に空手を習っていて、その道場に海外の方が来るのをよく見ていました。1970年代当時は、武道がまだ海外でそこまで盛んではなかったので、「なぜ日本で空手を練習しているのだろう」と、漠然とした興味を抱いたんです。本格的に海外で剣道中心の生活をしたいと感じたのは、大学3年生の時に、ドイツのハンブルクで指導する機会をいただいたことがきっかけでした。そこでたくさんの現地の方と接する中で、剣道の文化的な価値を強く感じるようになったんですよ。
――阿部さんは1992年、青年海外協力隊で、ハンガリー剣道連盟専属コーチとして派遣されました。当時の心境については?
欧州で剣道を指導するというのは、派遣先も種目も含め、青年海外協力隊の歴史の中で初めての試みでした。そのため最初は、住居が確保されていないなど、さまざまな問題が生じたんです。しかし、新しい土地ではうまくいかないこともあると想定していたので、大変な苦労とは感じていませんでした。食べ物や住む場所が整っていなくとも、「どうにかなる」という気持ちでしたね。何より当時のハンガリーでは、共産主義から自由主義への大きな体制転換が起きたことで、現地の方々に「とにかく新しいものを吸収したい」というエネルギーが生まれていたんです。ですから、私も熱を入れて向き合うことができました。
――阿部さんは青年海外協力隊の活動満了後に一度帰国され、現地の大学教員として再びハンガリーへ戻られています。この選択にはどのような背景がありましたか?
青年海外協力隊の活動は2年と限られていたので、やり残したことが数多くあったんです。それは、剣道が普及し始めていたハンガリーの競技レベルを、ヨーロッパでもトップの水準に引き上げること。そして、ただ試合に勝つのではなく、日本の伝統文化が色濃く反映されたスポーツとして剣道を広めることでした。現地の大学教員としての給与は、当時の日本の物価にしてわずか2万円。周囲の方々からは否定的な言葉を受けましたが、それでも、ハンガリーに戻って剣道を追求したいという思いが強かったんです。
――海外で剣道を指導する際に大切にしていた価値観についても教えてください。
現地の文化を尊重したうえで、日本の剣道の精神をいかに根付かせていくか、という点を意識しました。礼儀作法や指導者への敬意など、武道への向き合い方は日本と海外で大きく異なります。ですから生徒からは、「なぜ礼をしないといけないんだ」「なぜ指導者の意向を全面的に支持しないといけないんだ」といった質問を多く受けました。そうした状況だからこそ、日本と海外の価値観の違いを理解し、その中間を捉えて寄り添う姿勢を大切にしていましたね。
――文化の違いが大きかったのですね。
ええ。剣道界が特に大事にしているのは、“生涯学習”の精神です。海外の価値観の場合、柔道やサッカーといった他のスポーツでは、どうしても最終的な目標が勝利することや、商業的に成功することに着地してしまいます。しかし剣道には、オリンピックのような実績や収入に関わる明確なゴールがありません。さらに取り組み方を変えていけば、死ぬまで現役で続けられるスポーツです。これは、とても独特な普及の仕方だと思います。現在では、剣道の伝統的な側面に親しんでくれている海外の愛好家の方も多いですから、私もそうした剣道に根付く文化を伝え続けていきたいです。
――剣道をより広く海外へ伝えていくための、将来的なビジョンはありますか?
最も進めたいのは、海外における剣道のプロ化です。ありがたいことに、現在ではさまざまな国に剣道の選手や指導者がいて、根幹にある日本の伝統文化を守ってくれています。しかしそれゆえに、剣道が収入と結び付かず、セカンドキャリアが確立されていない状況でもあるんです。例えば日本では、道場やクラブを運営する道もあれば、警察官や教員をしながら生徒たちに指導するといった道もあり、これらはすべて、剣道で金銭を得ているという点で“プロ”と言えます。海外にはこうした、剣道を突き詰めた先の受け皿がないんです。ですから私は、児童向け・選手向け・生涯武道に関わりたい中高年の方向けといったように、一人ひとりの目的に合わせた指導ができる環境を整えたいと考えています。また、オリンピックのような国別対抗のものではなく、個々が活躍できる小・中規模の大会を各地域に根付かせ、単なるチャンピオンシップではない剣道の場をつくることも有用だと思っています。
――海外から見た日本というのは、いったいどのような存在なのでしょうか?
私が青年海外協力隊で派遣された当時は、海外の方からすると「日本=電化製品の開発が盛んな、技術力のある国」というイメージだったと思います。つまり、これまで日本人は“文化”や“人”ではなく、“モノ”で海外とつながっていたんです。素晴らしい製品は認知されているけれど、人柄や文化はさほど知られていない――そのことを痛感して、私は「魅力的な日本人になろう」と気持ちが引き締まりましたね。そうした時代を経て、現在はインターネットの普及もあり、日本の幅広い文化がさまざまな国で親しまれるようになりました。ここで大切なのは、海外の方から自国の文化や歴史について聞かれた際に、淀みなく答えられる日本人であることです。日本人としてのアイデンティティが希薄ではない、顔の見える関わりが重要です。いくらテクノロジーが発展しても、最後は人対人の関わりこそが、日本と海外をつなぐ大事な要素になると思います。
阿部 哲史
8歳で剣道を始める。大学3年生の時、ドイツのハンブルクで指導した経験を機に、海外で剣道中心の生活を送ることを志す。大学院修了後、1992年に青年海外協力隊でハンガリー剣道連盟専属コーチに。1995年に任期を満了して帰国した後、ハンガリー地方大学の教員公募を経て再びハンガリーへ。以後、大学教員、ハンガリー剣道連盟テクニカルディレクターとして剣道の普及活動に携わる。2018年4月からは、国際武道大学体育学部武道学科の特任准教授となり、提携校であるハンガリースポーツ科学大学の客員教員も兼任。現在は欧州剣道のプロ化を視野に入れ、さまざまな挑戦を続けている。
8歳で剣道を始める。大学3年生の時、ドイツのハンブルクで指導した経験を機に、海外で剣道中心の生活を送ることを志す。大学院修了後、1992年に青年海外協力隊でハンガリー剣道連盟専属コーチに。1995年に任期を満了して帰国した後、ハンガリー地方大学の教員公募を経て再びハンガリーへ。以後、大学教員、ハンガリー剣道連盟テクニカルディレクターとして剣道の普及活動に携わる。2018年4月からは、国際武道大学体育学部武道学科の特任准教授となり、提携校であるハンガリースポーツ科学大学の客員教員も兼任。現在は欧州剣道のプロ化を視野に入れ、さまざまな挑戦を続けている。

