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コラム 今、かっこいいビジネスパーソンとは vol.2 勘違いしない理解力 今、かっこいいビジネスパーソンとは 首都大学東京教授/社会学博士

コラム
現代のビジネスパーソンを取り巻く様々な現象を社会学の視点から論じる連載の第二回。前回提唱していただいた「ベタな現実に右往左往しない生き方」のモデルを、宮台真司氏はクリント・イーストウッド作品に見ることができると言う。
 
 

イーストウッド作品にみる「揺るぎなさ」

 
 僕は大学で学生と接していろいろ話す機会がありますから、「ヘタレとそうでないものの区別がわからない」と言う学生には、『許されざる者』以降のイーストウッド映画を見ろと言います。現実社会でロールモデルが得られないならメディアの中に探せと。もちろん周囲に「この人のようになりたい!」という人物がいればそれに越したことはありません。
 『許されざる者』以降のイーストウッド作品に共通するのは、ある種の「揺るぎなさ」の感覚です。揺るぎなさとは主人公の「佇まい」であり、世界観であり、言語化不可能な要素を多分に含みます。実際に映画を見た学生たちはよく「文化が違う、国や時代が違う」と言いますが、そうした具体的な属性はどうでもいい。
 揺るぎなき佇まいは、その人の近くにいれば必ず「この人みたいになりたい!」と思わずにいられなくなるオーラと表裏一体です。そのオーラに「感染」することを、初期ギリシア(ペロポネソス戦争以前のギリシア)の人たちが「ミメーシス(感染的摸倣)」と呼んで大切にしたということは、『日本の難点』でも書いたとおりです。
 ただしイーストウッド作品は一本だけを見てもダメ。揺るぎなさの現れ方がいろいろだからです。あるときは宗教だったり、信念だったり、愚鈍なまでの純粋さだったりします。僕たちはそれを見て、「揺るぎなさ」とはどういうことであるのか、具体的な現れ方と別に、「つまりはこういうことだ」と抽象的に理解する必要があります。
 
 

「仕事での自己実現」など結果に過ぎないと認識せよ

 
 僕はよく学生に「仕事で自己実現しようなんてバカな考えはやめなさい」と言います。昔からどこでも仕事は「食べていくため」にあるのです。そこを勘違いしてはいけない。自己実現の場というのはどこにあったかというと、家庭の営み、地域の営み、大事な友人との関係のうちに、つまり前回説明した「ホームベース」においてこそ、あったわけです。
 昔の地域社会の大人たちに「仕事で自己実現」している人がいたでしょうか? 仕事に誇りを持つ人はもちろんいました。しかしその場合も、「家族を食わせていく力が自分にはちゃんとあるぞ」という誇りが専らだったはずです。仕事が大切なのは、大切なもののための手段として不可欠だからで、仕事の外側に大切なものがないのは、まさに欠落です。
 現在の日本人は非常に就業時間が長く、かつ労働生産性が非常に低い。「上司が帰るまで帰らない」というバカげた慣習がまかり通っていて、何をしているのかわからない状態で仕事をしています。これではプライベートの時間は作れないだけでなく、子育ても十分にできないし、市民活動にも参加できません。そうすると社会そのものが衰退していきます。
 ちなみに、国際比較データを見ると、アメリカを除く先進各国の労働時間は年間1300時間から1500時間の間です。アメリカだけが例外で1700時間に及びます。では日本はどうかというと、なんと1900時間台なんですよ。これはサービス残業を勘案していないデータですから、実際は2000時間台に及ぶでしょう。
 それで、自殺率は先進各国中で最高。イギリスの3倍、アメリカの2倍に及びます。幸福度調査では、日本は75位ないし90位に位置します。毎日が幸せだと答える者の割合も、ラテンアメリカ諸国などは5割以上に及ぶのに、日本では2割以下です。こうしたデータから分かるのは、仕事での自己実現など、めったなことではあり得ないということです。
 こうした問題を解決するには、労働生産性をあげて労働時間を短縮し、そのぶんの時間をホームベースに充てるしかありません。「終電まで働くのが美徳」などという非合理的な労働慣行は今すぐに排除すべきです。それでやっとホームベースが確保できるようになります。ホームベースがなければ人間は幸せになることがあり得ません。
 個人の幸いにとって直接必要であるだけではありません。労働時間の短縮なくして、家族の営み、例えば子育てへの関わりも手薄になるし、地域の営み、例えば祭りなどへの関わりも手薄になるし、NPO活動への関わりも手薄になります。こうした包摂的な相互扶助の営みがないと、個人は孤独なまま放っておかれ、やはり幸せになれないのです。
 こういったことを論理的に理解し、短時間で仕事を片付け、プライベートタイムや社会活動の時間を確保することが先決です。仕事で自己実現している人もいますが、それはあくまでも結果です。そもそも戻れるホームベースもないような人が、仕事で激しく戦えるはずもなく、したがって仕事で自己実現できるはずもありません。
 ただ、こういった勘違いについて一方的に学生が悪いと断じるのはちょっと気の毒です。ロールモデルとの接触が極めて少ない社会では仕事の何たるかはわからないし、誰も何も教えてくれない。親が教えればいいでしょうが、親の世代も似たような勘違いをしているので、それも望めない。自分で自分を救済するしかないよ、というのが現在の状況です。 
 
 
 
 
 

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