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コラム 今、かっこいいビジネスパーソンとは vol.1 ベタな現実に右往左往しないこと 今、かっこいいビジネスパーソンとは 首都大学東京教授/社会学博士

コラム
7月号スペシャルインタビューにご登場いただいた宮台真司氏。9月号からは、現代のビジネスパーソンを取り巻く様々な現象を社会学者としての鋭い視点で切り取っていただく。
 
 

「内的/外的な確かさ」と「経験を積むこと」の意味

 
 まず、オーソドックスな話から始めます。日本人は一般的に「他者同調的・集団主義的」だとされます。「自分の目の前にいる他者」の承認を得ようとする傾向にあるということです。尊厳(自己価値)の根拠を外に求めるという意味で、「外的な確かさ」を求めやすいのです。
他方、目の前にいる他者とは関係のない第三者、例えばそれは神を持ち出すやり方もあります。「神によって承認されれば、目前の人たちが承認してくれるかどうかはさして重要ではない」という尊厳の抱き方です。これは欧米のユダヤ・キリスト教世界に典型的にみられる、いわば「内的な確かさ」です。
「内的な確かさ」に比べて、日本人が拠って立つ「外的な確かさ」は、往々にして他者の視線や評価を気にしすぎる振る舞いを帰結します。そのことが、日本人が何かというと右往左往しやすいように見える理由ではないかと思います。
右往左往を脱するには、周囲の視線や評価を超えた、「神のまなざし」だけを意識すればいいでしょう。そうすれば、周囲の他者たちの肯定や否定に揺るがされない尊厳の抱き方ができます。欧米では、そうした態度を身に付けることが、自立した大人になることだと考えられてきました。
それに比べて「寄らば大樹の陰」「郷に入れば郷に従え」の日本では、「内的確かさ」を持つ人間をむしろ村八分にしたり、今日でいえば「KY」(空気が読めない)として排除する文化的伝統があります。だから、日本で生まれ育つと、国籍がどこであれ、他者の視線によって右往左往する人間になってしまうのです。逆に、日本人でも、欧米で育てば、他者の視線から自立したドッシリした構えを持てるようになります。
 
家庭であれ企業であれ政治であれ、これからの社会はますます流動的になります。今まで信じられたものが信じられなくなります。他者の承認を当てにして行動するタイプの人はますます右往左往します。不安げで、付和雷同的で、「ヘタレ」な生き方を、ますますせざるを得なくなります。
そうしたヘタレな人たちが最近多くなっていると感じます。遡れば1960年代くらいから進行してきた事態ではないかと思います。『日本の難点』にも書いたように、地域社会の崩壊に見られるような〈生活世界〉の空洞化が、人々を不安定な存在にしてきたのです。
 
そういうことがわかっていれば、自分自身の生き方を方向づけるにしても、子供を育てるにしても、とるべき方向性は明らかです。
「ヘタレに人はついてこない」。これは100%の真実です。ことはビジネスに限りません。ヘタレな存在には、職場の部下だけでなく、異性や友人もついてきません。人間関係一般において、ヘタレは尊敬を集めることが絶対にできません。
では、ヘタレにならないために何が必要でしょう。日本にはユダヤ・キリスト教の伝統はありません。だから神を頼ることはできません。頼りになるのは経験です。経験を積むと「こういうケースではこうなる」というパターン認識ができるようになります。つまり社会で昔から決まっている対処の仕方がわかるようになります。
例えば性愛を考えてみましょう。経験を積むにつれて、それまでいちいち右往左往していた相手の反応に、「よくあることだ」と慣れていき、右往左往しなくなっていくのです。
 
一つの結論です。個別の現実にベタに対処するのでなく、個別の現実の背後に一貫して流れている摂理に照らして生きること。それが日本人にも可能な、ヘタレでない生き方だと言えるでしょう。細部にとらわれず、パターン認識をベースに、とるべき行動を定めること。僕はそういう生き方を推奨したいと思います。
 

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