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米国発の新たな労働運動

 
 
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Ryuji / PIXTA
昨年12月14日配信の「JNEWS LETTER」によれば、米国の、特に20~30代の若者世代の間で「Quiet Quitting」(静かな退職)が流行り始めた。会社からクビにされない程度にしか働かない働き方を積極的に選ぶこの動きが生まれた背景には、従来「Hustle Culture」と呼ばれてきた、「ハードワークをして昇給や昇進を目指すことが奨励される企業文化」が疑問視されるようになったことと、「FIRE(経済的に地盤を固めて早期リタイアする)を目指してハードワークをしても報われるのは上位のエリート層だけであり、大多数の労働者は低賃金のまま苦しい生活を強いられる」という不満があるようだ。加えて米国では「コロナ禍で大量の退職者が出た中で、職場に残った従業員に対して上司が、昇進の可能性を示唆しながら、実際には無報酬のまま、多くの仕事と重い責任を与えている」という状況が生じており、同レターはこれらの文脈から「静かな退職」を「新たな労働運動のスタイル」と位置付けている。
 
筆者もこの見方に同意するのは次のような論理からだ。――米国疾病予防管理センター(CDC)によると、現在米国人の7割がすでに新型ウイルスに感染しており、24.1%に後遺症が残るとされる統計確率を15歳から64歳までの生産年齢人口に当てはめるとその数は3400万人にのぼる。別の調査では、後遺症から回復した人の割合は現状50%に留まり、残り1700万人がまだ後遺症に苦しんでいることが示唆されている*1。Hustleしたくてもできない不如意の感覚は不満というより“理不尽”の感覚に近い。ここに国際NGOのオックスファム(Oxfam)が報告した「世界で最も裕福な26人が、世界人口のうち所得の低い半数にあたる38億人の総資産と同額の富を握っている」という事実*2と、パンデミックが起きた2020年初頭から9ヶ月で米国の富裕層上位50人の資産が3390億ドルも増えた事実*3とを一緒に並べれば、“理不尽”の感覚が労働者大衆の集合無意識として「クビにされない程度にしか働くまい」というネガティブな積極性に転じるのは必然である。
 
 

日本における関連現象4つ

 
日本の場合、「静かな退職」の問題は米国より複雑だ。第一に、労働分配率(企業が生み出す付加価値からの労働者の取り分)が近年低下している。労働分配率は、売り上げが下がっても人件費はすぐには減らせないので不況期は相対的に上昇し、逆に好況期は低下するものだが、法人企業統計ベースで推移を見ると、80年代のバブル期でも70%強、時期をもっと近くとって2001~2007年の景気拡大期を見ても7割前後はあった*4。それが近年は6割台後半だ*5。なお、原因として「外国人株主保有比率が高いほど配当への分配が促進され、人件費への分配が抑制される」ことが確認されている*6
 
次に、税制による賃上げ誘導は実は効果がない。日本生産性本部の最新のアンケート調査を見ると、「賃上げを行った企業は法人税の控除率を引き上げる」といった政府による政策誘導は大方の企業には響いていない。調査では「税制優遇に関係なく賃金を決めている」という回答が78.1%、「種々の制限があって活用できない」が11.6%。合わせると、施策が響かない企業が9割にのぼる*7
 
いっぽうで、賃上げの余地はある。同じ調査によれば、企業が賃上げをしないのは「一度上げると下げにくいから」だ。まるで消費税率の論法――「一度下げると上げられないから下げない」――さながらだが、このあたりは解雇条件の見直しも含めて労働市場の硬直性を何とかすべきとして、続けて同調査の「賃金制度を変更した狙い」を見ると、6割が「社員のモチベーション・エンゲージメント向上」と答えたいっぽうで「人事制度との整合性」をとるためと答えた企業が36.5%ある。逆に言えば、人事と賃金制度がイコールになっていない企業がまだそれだけあるということだ。賃金制度は組織内のフェアネスの問題でもある。フェアネスを改善すれば賃上げの余地はある。賃下げされる人も一定数出るだろうが。
 
そして最後に、賃上げは空気次第のようだ。経団連は1月17日、今年の春闘で経営側の指針となる「経営労働政策特別委員会(経労委)報告」を発表。報道によれば、その一週間前には十倉雅和会長が「賃上げは企業の社会的責任」と言い切った。記事は「これまでずっと企業の内部留保の厚さが問題視されてきた。企業側の主張は金融危機など会社のピンチに備えるの一点張りだったのに、一転してあらゆる企業が諸手を挙げて「賃上げ」と言い出した」のは「同調圧力の存在が見てとれる」と指摘。日本では大企業の経営判断も空気次第であることを匂わせた*8
 
 

「静かな退職」を引きこもりのアナロジーで理解する

 
以上を総合すると自然に浮かぶのが、「国も企業もどこまで本気なのか」という疑問である。そしてこれは本邦の場合、国のあり方の問題でもある。
 
「静かな退職」は欧米よりむしろ日本で以前から瀰漫(びまん)しているとされるが*9、私見ではこれは、主権国家のあり方を失って以来本邦の精神文化の基底になっているキッチュの感覚に由来する。つまり、「本気か?」「真面目に考えているのか?」と思った端からそう思うこと自体が脱力、どこかに回収されていく状況への“あえてする”陶酔と、その倒錯を是認する態度――キッチュ――への、労働分野における抵抗が、日本版「静かな退職」の中身ではないかということだ。日本の場合米国より複雑だというのは、「静かな退職」が一種のカウンターカルチャーであるとして、カウンターをかます先もまたカウンターカルチャーであるからである。複雑というよりほとんど錯綜しているのだ。
 
では、どう対処するか。筆者からは「引きこもり」問題を参照するよう提案したい。「静かな退職」は引きこもりのアナロジーで理解すると謎が解けやすい。もし本稿の読者が経営者で、こちら(経営側)の都合を一瞬でも匂わせたが最後すぐ「静かな退職者」に後退してしまう社員に悩んでおり、「モチベーション向上」「内発的動機づけ」のようなよくあるアプローチは彼らに通用しない気がするならば、引きこもり診療の第一人者である斎藤環氏の講演「なぜ人は引きこもりになるのか」*10を視聴してみるといい。08:48~「信頼関係がない人が言う正しいことは、当事者にとっては抑圧にしかならないという心理をぜひ知っておいていただきたい」に始まり、家庭内暴力の話に変わる50:01まで、「家庭」を「会社」に、「ご家族」を「経営側の人たち」あるいは「国家」に、適宜置き換えて聞けば、「そういうことか!」と膝を打つ理解と「ここが間違っていた」という反省と「だとするとうちでは無理だ(=転職してもらったほうがお互いに良い)」という見極めが波状攻撃のように続くだろう。
 
誤解してはならないのは、「静かな退職者」は教導して引き上げる対象ではないということである。この点で、例えば内発的動機づけは“づけ”が含むニュアンスですでに失格である。大事なのは「静かな退職者」も中位水準の生活が営める社会を実現し、守ることだろう。そのために何が必要かだ。
 
 
 
*1 米国で新型コロナ感染後遺症による就労困難者、フルタイム当量で約400万人とシンクタンク推計(JETRO 2022年09月12日)
*2 世界の超富裕層26人、世界人口の半分の総資産と同額の富を独占(AFP通信 2019年1月21日)
*3 米金持ちトップ50人の資産2兆ドル、下位50%の1億6500万人分に匹敵(Bloomberg 2020年10月9日)
*4 平成23年版 労働経済の分析―世代ごとにみた働き方と雇用管理の動向―第3章付属統計表(厚生労働省)
*5 経済財政分析ディスカッション・ペーパー「近年の労働分配率低下の要因分析」図表3-5(内閣府政策統括官)
*6 株主構成が付加価値の分配に与える影響(早稲田大学商学部 広田真一ゼミ 2015年1月)
*7 「人材を生かす賃金」に関するアンケート調査結果【速報版】(2022年12月19日)
*8大企業の相次ぐ「賃上げ」は同調圧力か!「今までは何だったの?」と怨嗟の声(アサ芸ビズ 2023年1月16日)
*9 日本の人事部(2022/11/30)
  「静かな退職者」対策のポイント。社員のモチベーションを上げるのは上司の仕事ではない?(note 石田裕子 2022年9月26日)
*10 なぜ人はひきこもりになるのか~「会話」ではなく「対話」という考え方~(多摩市公式チャンネル 2021/01/21)
 
(ライター 筒井秀礼)
(2023.2.1)
 
 

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