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京都の家の間口はなぜ狭いのか?
―石器時代から縄文文化、そして税の社会構造変革効果―

 

1、はじめに

 
 先日、衆議院副議長衛藤征士郎氏主催の早朝勉強会で竹中平蔵氏の講演を聞きました。テーマは 「東日本大震災と日本経済の行方」、その中で復興財源の話をされていました。大いに共鳴する部分があるのですが、現実は竹中氏の考えとは別の方向に進んでいます。一時的な支出対応のために増税をして税金を取っていいのだろうか? 税金とは何なのかと、問い直してみたいのです。
 所得税という税金は、イギリスがフランスと闘う戦費調達のために始まったとされます。またフランスに消費税が始まった理由は、パリを訪問する外国人から税金を取るためだったともいわれています。宮古・八重山地方にあった人頭石(およそ143cm)は、成人になると一律に人頭税という税金を取るための、成人の目安としての石です。税金逃れのため久部良割‐クブラワリ‐(与那国島)などの悲劇をも発生させています(久部良割については拙稿 「八重山よもやま話」の6.沖縄問題と税制(赤字法人課税)」参照)。税負担は農民に対する地租が大部分で、最初は商工業者には税金がかからなかったんです。
 日本では、富裕税としての所得税、法人税としての第一種所得税の徴収は明治32年からです。日本の相続税は1904年(明治37年)に起きた日露戦争の戦費調達のために1905年1月1日に施行されました。当初は臨時税として構想され、実際徴収された相続税は戦費の0.1%に満たなかったのですが、当時のヨーロッパでは恒久税を取る国があったため、結局日本でも恒久税として定着していったのです。明治憲法体制下の1900年には大選挙区制度の導入がありました。日露戦争を前に地租増徴のために政党の協力が必要となった藩閥政府は、地主を選挙基盤とした当時の政治家には増徴が受け入れられるはずもなかったので、大選挙区制度にして議員の賛成を得られやすくしたのだそうです。
 古今東西、税金はその当時の支配者によって都合よく、もっともらしく徴収されているんですね。東日本大震災の復興財源も東北地方の方たちをダシにして恒久化していくのでしょうか?(原稿執筆時点では、復興債10兆5千億発行、その財源は法人税・所得税の 「定率増税」 で10兆3千億、でも復旧・復興事業の総額は10年間で23兆円と明記されましたから、不足分は消費税増税等しかないのでしょうか? 埋蔵金にも目を向けてほしいですね)
 
 さて、そこでまず税金とは何なのか?を考えてみましょう。そして税金が社会構造を変えてしまっている点にも目を向けてみましょう。
 
 

2、税金とは何か(収益説・出資説又は義務説)

 
【収益説】 
 収益説は、社会契約説的な国家観を背景として、租税は国民が国家から受ける利益の対価とみる考え方です。国家が財やサービスを国民に提供する見返りに、売上げとして対価をいただく。
 税金を政府に支払った段階で、国民と税金の関係はきれいさっぱりに消えてしまい、お金は政府のものになってしまうとも考えられます。税金が入ってきた瞬間に、法律上は国家がどのような形で使ってもよい 「売上金」 とみなす考え方です。東京都や大阪府はこの方式の財務諸表を作成しています(通称東京都方式といい、現存する固定資産をすべてリストアップし、原則として取得原価により固定資産を評価。発生主義的な日々の財務会計データから固定資産情報を作成)。
 
【出資説】
 地方自治体の主たる財源である税収について、所有者からの拠出とみなして、損益計算書(P/L)上の収益ではなく、純資産の変動(資本に該当) として、貸借対照表(BS)とその純資産の部の内訳である純資産変動計算書に計上するという考え方です。
 つまり税金は国家に対する出資で、国民が税金を支払ってその財産権が政府に移転したとしても、それは民間企業の株を買うことによってその会社の実質的所有権の一部を買ったのと同じように考えます。従って税金に対する権限は国民の手元に残ることになります。
 この考えに立って考えると国家は株主である国民からお金を預かっているに過ぎず、税金を好きなように使っても良いということにはならないとの理屈付けです。しかし国際的に発生主義会計の導入が進んでいるイギリスやニュージーランドでも、アメリカ、カナダ、オーストラリアでも、国際公会計基準でも、税収は資本であるという主張はありません。日本の市区町村の大半は、出資説によったところの、総務省方式改定モデル(おおよそ全体のおおよそ90%)や基準モデル(全体のおおよそ10%)で財務諸表を作成しております。
 総務省方式改定モデルでは、固定資産台帳は過去の建設事業費の積上げにより算定し、段階的に固定資産情報を整備すればよいとされていますので、実際は固定資産台帳が存在しない市町村がたくさんあります。公有財産台帳はありますが、金額が記載されていなかったりするようです。従って建設事業費の積上げにより算定した固定資産台帳ですから細目が分かりません。細目が分からないために減価償却累計額も把握できず、将来の設備更新のためのコストがどのくらいあるのかが今のままでは把握できないのです。ですから複式簿記にのっとった基準モデルもしくは東京都方式を採用しなければいけないと私は主張しています(清掃事業に関する財務管理及び事務の執行等について(平成20年度包括外部監査結果報告書)187頁「公有財産・備品等の管理と地方公会計改革への対応」(PDFファイル
 
 

3、国家って何?石器時代から縄文文化へ

 
 税を考えることは国家を考えることに直結します。そもそも国家って何?と考え始めると人類の発生まで遡ぼらなければならなくなります。石器時代はその日暮らしの食物の確保が生活の主目的だったのでしょう。その後石器の作り手と、使い手が別れはじめた旧石器時代の後半は、物々交換と分業が始まりました。
 このようにして、獲得した食物の保存のために土器が生まれ、縄文時代や弥生時代になると稲作も出てきます。食料生産の労働から解放された一部の人間は、特殊な職務に従事して文明の専門的分野を担当し始めます。ここに文明が生まれ、複雑化した社会はやがて都市と階級と政治的組織が生まれます。そしていよいよ国家が生まれます。
 
 石巻の避難所に炊出支援に行って、人間の原点を感じました。「人間は定住しているんだ」と。当たり前のことですが、生活するために居を定めるという原点を考えていくと、人類の発生まで遡っていきます。
 昔、東京・新宿駅の西口地区には数えきれないほどのホームレスが定住していました。それをじっと見ながら考えたことがあります。ホームレスにも格差ができてきているなということ。所持品やらホームの規模をみると分かります。そしてリーダーシップを取って撤去運動反対ビラのようなものを配っている人が出現していること。この地域は、石器時代から縄文弥生の時代にかけて社会が複雑化していった経過の縮図のようでもあるな!と感じたものです。
 国家維持のためにはコストがかかります。そして各時代の支配者が様々な理屈を後付けして税金を徴収するのは上述したとおりです。税金を取られるほうも、いかにして負担を少なくするのかに頭をひねるのはいつの時代でも同じようです。そして両者のせめぎあいは、社会構造すら変えてしまうのです。
 
 

4、税の社会構造変革効果

 
 与那国島にある人頭税にまつわる久部良割の話は先述しましたが、これは妊婦に崖を飛び越えさせて、越えられない者は、そのまま海の中に消えてしまうという残酷な人減らしの話です。これは島が税を逃れるための苦肉の策でした。そして本稿・平成23年3月号(vol.14)の「小学校のクラス会、そして人生を終える理想の場所を求めて―小規模宅地の評価減の改正の影響 ―」では、宅地の評価方法が変わってしまったため、自宅を転居せざるを得なくなった人の話をしました。それほど税制の変化が社会に与える影響は大きいのです。その事例をいくつか挙げて見ましょう。
 
(1) 京都の間口税
 江戸時代の京都では、家の間口の広さで税金が決まる「間口税」というものが存在していました。家の間口3間(約5.4m)ごとに税金をかけたそうです。京都の町を歩くと、「うなぎの寝床」のような、間口が狭くて奥行が長くなっている細長い家が結構あります。これは節税のためにこのようになったのです。・・・参考:清水寺付近の五条坂付近
 中世のオランダにも、窓の数を基準とする「窓税」があり、これが間口税へと変化したのかも知れません。オランダの家も、間口が狭く、奥行きが長い造りになっていて、外から見ただけでは家の構造がわからず、奥のほうに秘密の隠れ部屋を造ることができる構造になっているようです。『アンネの日記』はこのような秘密の隠れ部屋で書かれたのです。戦争の悲劇を描いたこの本と税制が関係しようとは、読んだ当時は想像だにしませんでした。
 
(2) 幅広になった北前船
 北前船(きたまえぶね)とは、江戸時代から明治時代にかけて、上りでは対馬海流に抗して、北陸以北の日本海沿岸諸港から関門海峡を経て瀬戸内海の大坂に向かう航路(下りはこの逆)を行きかう船のことです。これは千石船ともいわれていましたが、この千石船は次第に幅が広くなり、中には二千石も積める船もありました。これは松前藩が入港する船の長さで税をかけたため、船主たちは長さを変えず幅を広くした結果だといわれています。
 

 
 京都の間口税を原因とした鰻の寝床も、北前船も、租税回避行為の結果です。いつの時代でも租税回避にまつわるおかしな話がたくさん出てきます。現代ではますます税制が複雑になってきていますから、節税やら脱税に手を出したくなる(本稿平成23年4月5月号「それは節税なのか?脱税なのか! ‐税金に対する経営者のタイプの違いと考え方の変遷 前編・後編‐」参照)。
 昔だったら、人減らしをしたり、家の間口を狭くしたり、船を幅広にしたり、で対応できたのでしょうが、今のように複雑化し、かつグローバルな世界になってくると、税の社会構造に及ぼす影響は測り知れません。地球規模での国家戦略というより、国を超えた宇宙の中での地球という視点で物事を考えないと、日本国ばかりでなく、地球そのものが消滅しかねません。しかし国家や民族の間で価値観の違いを克服するのは大変なこと。永遠の課題なのでしょうか?
 
 
 
 

 執筆者プロフィール 

渡辺俊之 Toshiyuki Watanabe

公認会計士・税理士

 経 歴 

早稲田大学商学部卒業後、監査法人に勤務。昭和50年に独立開業し、渡辺公認会計士事務所を設立。昭和59年に「優和公認会計士共同事務所」を設立発起し、平成6年、理事長に就任(その後、優和会計人グループとして発展し、現在70人が所属)。平成16年には、優和公認会計士共同事務所の仲間と共に「税理士法人優和」(事業所は全国5ヶ所)を設立し、理事長に就任。会計・税務業界の指導者的存在として知られている。東証1部、2部上場会社の社外監査役や地方公共団体の包括外部監査人なども歴任し、幅広く活躍している。

 オフィシャルホームページ 

http://www.watanabe-cpa.com/

 
 
 
 

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