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コラム もういっぺん、作ってみようや! vol.8 新しい発想法の源 もういっぺん、作ってみようや! 岡野工業株式会社

コラム
 
 

まだ脳みその充電がたっぷり残っている

 
 おれは昭和8年生まれだから、今年で79歳になる。でも、会う人はみんな 「とてもその歳には見えない。60代そこそこだ」 と言ってくれる。姿かたちだけじゃない。考え方や発想力が若いって言われるんだ。
 おれは学校の成績はからっきしだったけど、いわゆる 「地アタマ」、これは相当優れていたと思っているよ。勉強しなかったぶん、今も脳みそに充電がたっぷり残ってる(笑)。 この歳で人が考えつかないことや発想できないことをできるのはそのおかげだね。
 小さい頃から 「勉強しろ」 って尻を叩かれて、いい高校、いい大学に行かされたエリートは、テストに明け暮れて頭を使いきっちまって、電池切れしてるよ。
 それは技術者の世界も同じだ。大学だ、大学院だって尻を叩かれてきた技術者は、マニュアル通りのことはできる。図面があれば、その通りに作れる。だけど、おれに言わせりゃ、せいぜい60点の完成度だ。なぜって、そこから先は感性の領域だから。「この部分を気持ち薄く」 とか 「感じ、深めに」 なんていうのは、図面で描いたり数字で表したりするのが難しい。かといって、感覚をそのまま移植もできない。でも、そこをやらなきゃ完成度は高まらない。結局は自分の中にあるものが頼みだ。
 先生や親に指示されて勉強してきた人は常識が頭に染みついてる。でも、何かにチャレンジするなら、いっぺんそれを洗い流さなきゃな。「既成概念をとことんぶち破る発想をしよう!」 と意識すること。そう思って材料やら機械やらを見るだけで、少し変わってくるんじゃないか。
 
 

創意工夫の下地は子供の頃に身につく

 
 いまの子供たちは、生まれたときからテレビがあって、映像がそのまま目に入ってくる生活をしてるでしょう。これは自分で考える必要がなくなるってことだ。だから感性も育ちにくい。ごらんよ、鉛筆1本だって削れない子がたくさんいるだろう。
 おれの頃は、子供は誰だって 「肥後守(ひごのかみ)」 っていう折りたたみ式のナイフを筆箱に入れててさ、鉛筆は自分で削ったんだ。手元が狂って指を切ったりもした。今なら 「危険」 の一言で取り上げられるんだろうけど、そんな経験を通じて、自分なりの感覚や発想が養われていったんだな。
 男の子はベーゴマだって自分で改造したぞ。「ここをこうすればもっとよく回るようになる」 なんて、子供ながらに競って研究したもんさ。発想とか創意工夫の下地ってのは、子供の時分が一番身に付くんだよ。子供の頃に工夫して遊んだ体験が、新しい発想を生み出す頭を育てるんだ。何かが無いとか足りないときは、まず頭を使う。そうすれば必ず、無いなりのやり方が見えてくる。それが発想力につながる。この訓練を続けてきたから、図面がなくても自由に発想を展開して、オリジナルのひらめきを物づくりに反映させることができるようになったんだな。
 
 

おれにはアドリブの手法が合っている

 
 それに加えて、おれの場合、感性が養われたのは、子供の頃にラジオを通じて耳から吸収したものも下地になってると思う。ラジオは音声だけだから、想像力をいっぱいにふくらませて聴くだろう。そうやって、想像力や構成力の下地を、自然と体の中に育てていったんだよ。
 これってのはさ、ジャズのアドリブと同じなんだ。譜面なしで、即興で、臨機応変に演奏するあれだよな。相手に合わせて 「おれはこう行くぜ」 と音を鳴らすと、相手も乗ってきて新しい局面(フレーズ) に入っていく。プレイヤーも聴く側も、一番純粋に 「音楽をしている」 瞬間だね。いわば “あうんの呼吸” のようなもので、プレイヤーが譜面にかじりついて演奏しちまったらこうはいかない。もちろん、譜面があるオーケストラのほうが合ってる人もいるから、それはそれでいい。それだってその人の個性だ。おれはアドリブで行く方法が合ってたから、これまでの仕事を思い返すと、やっているうちにだんだん良くなって予想以上のものができたのは、たいがいがアドリブを利かせたときだったよね。
 
 

一流のものがアイデアの引き金を引く

 
 感性を育てる経験と、工夫する癖を身に付けること。それと同じように大事なことがある。一流のものに学ぶ姿勢だよ。
 おれは江戸っ子だから天ぷらを食べるとしよう(笑)。 くだらねえ店の天ぷらは 「上天」 でも胸やけがする。油がインチキだからね。一流の店は、ネタやコロモはもちろん、一見してわからない油も吟味されてるから、一番安い天ぷらだって胸やけしない。これが一流と二流以下の違いだね。
 おれがよく行く銀座の老舗は、最低でも15年以上修業を積んだ天ぷら職人じゃないと、客の前でネタを揚げさせないんだ。すごいだろ。客の前に出るまで15年だぜ? こういう一流の仕事はそれが何であってもヒントになる。「上には上がある。最高のものは伊達じゃない」 と知るだけでも大きな意味がある。他とどこが違うか自分なりに考えていると発想力が広がる。「そうか、ここに秘密があったんだ」 って発見があればなおさらだ。一流を知ってこそ、「こんな世界もあったのか。おれもまだやらなきゃいけないことがたくさんあるな」 っていう刺激になるんだ。二流、三流は “目からウロコ” をもたらしちゃくれないよ。
 
 

落ちている刺激に気付けるかどうか

 
 「一流を知る」 ために、おれは1年に1回、かみさんと一緒に一流のホテルに行くことにしていた。一流の場所には発想を刺激してくれるものがいっぱいある。「すげえな」 と感じたところは、なんとか自分の仕事に生かせないかと考えた。いろんな吸収をさせてもらったよ。「この照明の金具は変わった形だな。実用的で、しかもしゃれてる。どうやって作るんだ?」 ってふうにね。
 東南アジアに行ったときだ。現地のレストランで驚いたことがある。スプーンはふつう、握る部分が平べったいだろう。でも、そのレストランのスプーンは、金属の板を丸めた円柱状だった。「痛くない注射針」 と同じ発想で作られたものに出会ったんだよ。「こんな外国にも、おれと同じ発想をしたヤツがいたんだ」 と嬉しくなっちまったね。
 刺激や出会いはどんなところにも落ちてるもんだ。要はそれに気付けるかどうか。何事も、ボヤーっと見てたんじゃ何も吸収できない。安い居酒屋で憂さ晴らしばかりやってないで、一度パーっとお金を使ってさ、一流どころを知ってみろよ。絶対に、自分の中で変わるもんがあるのを保証するよ。
 
 
 
 次回は、黙っていても仕事がうまくいくようになる 「岡野流世渡り力」 を話してみようかな。
 
 
 
 もういっぺん、作ってみようや! ~町工場最強オヤジ!岡野雅行の直言~第8回 

 執筆者プロフィール  

岡野雅行 Masayuki Okano

岡野工業株式会社 代表社員

 経 歴  

岡野工業株式会社代表社員。十代初めから、実父が営んでいた岡野金型製作所で職人修業を開始。勤勉に仕事にいそしむかたわら遊び仲間も多く、仕事と遊びの双方で「向島の岡野雅行」の名を上げ始める。1972年、製作所を引き継ぐと 「岡野工業」 と社名を変更。金型だけでなくプレスも導入し、高い技術力を持って大手との取引が増え始める。インシュリン用の注射針で主流になっている「ナノパス33」をはじめ、ソニー製ウォークマンのガム型電池ケース、携帯電話のリチウムバッテリーケース、トヨタプリウスのバッテリーケースなど、世界的な躍進を遂げた製品はどれも岡野工業製作の部品が支えているとすら言われている。

 
 
 
 

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