B+ 仕事を楽しむためのWebマガジン

スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 

自分らしいスケートを追求し
ミラノオリンピックを目指す
フィギュアスケート選手 坂本花織

 
4歳の頃からスケートを始め、2018年、高校2年生のときには平昌オリンピックに出場。2022年の北京オリンピックでは個人で銅メダルを獲得するなど活躍し続けている坂本花織さん。当時の記憶をうかがうと、「涙が出そうなくらい緊張していた」と笑いながら答えてくれた。自身を「めちゃくちゃ緊張しい」だと語る坂本さんに、緊張との付き合い方や、選手としての目標などをうかがった。
 
 

オリンピックを夢見ていた

 
スケートを始めたのは4歳のときです。実は、同時に水泳も習い始めていました。小学校2年生までは水泳を週5回、スケートを週3回で練習していました。ある時期に、スケートと水泳の両方の先生から「どちらかに絞ったほうが良い」とアドバイスいただき、スケートを選びました。
 
幼い頃から、オリンピックに出ることを目標にしていました。ただ、現実はそんなに甘くなく、何度も壁に当たりました。例えば、小学生の頃にスランプを経験したんです。フィギュアスケートにはジャンプが6種類あります。その中で、「トリプル」とつく5種類のうち、2種類しか跳べなくなってしまったんです。残りの3種類はどうやって跳んでいたのか忘れてしまうほどでした。
 
中学生の頃には身長が一気に伸びて体重も増え、その影響で怪我をしてしまうこともありました。現役選手が経験するようなトラブルを、小学生、中学生の頃から経験してきたなあと思っています。だから、実際に平昌オリンピックの代表選手に選ばれたときは本当に驚きました。フィギュアスケートにはノービス、ジュニア、シニアの部門があり、私はちょうど平昌オリンピックのある2017-2018年のシーズンにシニアデビューしたんです。
 
シニアの中では最年少ですし、先輩のみなさんは多くの実績を持っておられる中で、私が代表選手になるのはなかなか厳しいと感じていたので、予想もしていませんでした。代表選手を選ぶ最終選考は、全日本選手権です。私は2017年のグランプリシリーズで表彰台に乗ることができて、その勢いのまま全日本選手権で総合2位という結果を出せました。そうして代表選手に内定したんです。そのスピード感に自分でもついていけず、奇跡が起こったのだと思っていました。
 
 
 
 
 

スペシャルインタビュー ランキング