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プレミアムフライデーは何するものぞ?

 
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先月24日、「プレミアムフライデー」の第1回が施行された。「毎月最終金曜日は午後3時に仕事を切り上げ、普段と違う過ごし方をしよう」という趣旨で始まった官民連携の取り組みだ。何をして過ごしたか、次回今月末は何をして過ごしたいか、話題になった職場も多かったのではないか。
 
もっとも、取り組みを推進する経産省、経団連、百貨店および旅行業界各社のほうは想定があるようだ。昨年12月12日の推進協議会の第1回発表によると、「個人が幸せや楽しさを感じられる体験」、具体的には「買物や家族との外食、観光等」。要は消費の文脈である。
 
いっぽうで政府は、プレミアムフライデーは「働き方改革」の一環という位置づけだ。「働き方」と言うからには生産の文脈で語りたいところだが、現在のところ、プレミアムフライデーも働き方改革も「いかに働かないか」の話に終始していると感じるのは筆者だけだろうか。
 
現在世論が集中している長時間労働や過重労働の問題は、究極的には法的な労働争議の範疇だ。そちらに話を持っていっている間は、「働き方」や「働くこと」は私たちが共通して持つ資産であることへの再認識も、その評価と扱いを高める機運も育たないだろう。それではもったいない。「時短に役立つ業務改革」といった実務論はその方面の専門家に委ねるとして、本稿では労働価値および就労観の再構築という面から「働き方改革」について考察してみたい。
 
 

「働き方」をめぐる労働者の分断

 
「働き方」「働くこと」が資産であるという認識、およびその評価と活かし方を再構築する必要がある背景には、雇用契約におけるメンバーシップ型とジョブ型の区別が混同されてきた日本の労働法制特有の問題がある。前者の型の典型は戦前のホワイトカラー労働者で、賃金体系は日給月給ではない純粋月給制。時間外勤務の概念がないから手当もつかず、労働時間規制もなかった。後者の典型は工場労働等に従事するブルーカラー労働者で、賃金体系は時給日給制。こちらは時間外勤務手当つまり残業代がつく。諸外国と違って日本の場合、この区別が戦中から戦後にかけて弱まり、ブルーカラーがジョブ型雇用のまま月給制になった。そしてホワイトカラーも、メンバーシップ型雇用のまま残業手当を得るようになった(長時間労働の起源?)。
 
やがてここから2つの問題が生じた。1つは、経営側がホワイトカラーといっても裁量権も出退勤の自由もない通常の管理職者を労基法上の管理監督者にして残業手当の支給義務を逃れようとする、いわゆる「名ばかり管理職」の問題。そしてもう1つは、これは自説だが、望ましい就労観がメンバーシップ型に偏ってしまった結果、労働者総体としてはかえってジョブ型労働者とメンバーシップ型労働者の間で分断が生じてしまったことだ。
 
労基法で「経営の管理者的立場にある者又はこれと一体をなす者」と定められた管理監督者でもないのに上司が部下に残業時間を過少申告させる裏には、この分断の意識がありはしないか。ジョブ型の労働が目の前でどんどん非正規ないしプロジェクト雇用に置き替えられていく中で、自らメンバーシップ型の就労観にすり寄り、疑似的な一体感と安心を得ている部分があるのではないか。本来なら誰がどんな契約形態でどんな「働き方」をしようが、「働くこと」自体を価値であり資産として尊重すべきはずなのに、だ。
 
 

改革の本質はどこにあるか

 
平成28年版の労働経済白書によると、現在企業の49.4%が人員不足を感じており、「募集しても応募がない」と回答した企業が4割、応募はあるが「応募者の資質が自社の求める水準に満たない」「求職者が求める処遇・労働条件と自社の提示内容が折り合わない」と回答した企業があわせてこちらも4割にのぼる。人員不足が解消されない理由の8割以上がミスマッチだ。労働者側も、「希望する種類・内容の仕事がない」「勤務時間・休日などが希望とあわない」などを理由に153万人が就労できないでいる。またこれとは別に、「勤務時間・賃金などが希望にあう仕事がありそうにない」「自分の知識・能力にあう仕事がありそうにない」という理由で求職していない人も69万人いる。そうこうするうちに、人手不足による職場への影響の第1位は「時間外労働の増加や休暇取得数の減少」が72.3%でダントツになってしまった。
 
この状況で「いかに働かないか」で盛り上がってもしょうがないのではないか。それよりも、「働くこと」の価値およびそれへの評価を上げる機運を盛り上げるべきではないか。これは「働き方改革実現会議」が掲げる検討項目の1番目、非正規雇用の処遇改善(同一労働同一賃金)と2番目、賃金引き上げに関わるテーマでもある。改革の本質はこちらにある。
 
 

「働き方改革」の本来の射程

 
ではどうすればいいか。この先は願望の言い方になるしかないが、企業側は職能や資質を備え済みの人を求める傾向をいいかげん見直してもらいたい。また、「働くこと」の価値を今よりも評価するようにしてもらいたい。潜在労働人口は635万人いるのだ(就職希望者413万・完全失業者222万)。「水準に満たない」「折り合わない」などと言っている場合ではないだろう。
 
また働く人の側は、IT化とAI産業ロボットの普及でいずれにしろ労働集約型の業務は減っていく中で、自身の資産を仕事の内容か「働き方」のどちらかで付加価値型にシフトする必要に迫られている。そして後者「働き方」のうち残業時間に関しては、「年720時間まで」とする政府の改革案が法令化する見通しだ。労使協定を結んで稼げるだけ稼ぐ意思が法的に否定され、戦後ずっと就労形態のヒエラルキーの安定トップだった「残業手当がつくホワイトカラー」は少なくとも論理的には安定トップでなくなる。相対的にこれからはジョブ型の「働き方」の価値が見直されてくるだろう。その文脈に同一労働同一賃金の議論も乗ってくるだろう。それにつれ起業が増え、副業の容認が進み、複数社勤務をする人も珍しくなくなるに違いない。現にサイバーエージェント子会社のように副業採用を始めた例もある。
 
そして将来的には、本人次第で副業=複業に活かせるような教育開発を積極的に行う企業がより多くの「働くこと」を、つまり資産を集めるようになるのではないか。その先には生産年齢人口の比例で国力を測る段階を超えた労働社会のイメージが現われる。「働き方改革」は本来それぐらいの射程を持つものだと信じたい。
 
 
 
(ライター 筒井秀礼)
 
(2017.3.1)

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