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スポーツ 上原浩治のTrust Pitch! vol.20 任務をきっちりこなす仕事人 上原浩治のTrust Pitch! ボストン・レッドソックス投手

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column.20 任務をきっちりこなす仕事人

 
田澤純一選手
 
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Q 最初にお会いしたときの印象は?
A 日本での活躍ももちろん知っていましたので、そこまでの人だとちょっと堅苦しいのかな、とか、“寄ってくるなオーラ”みたいなのがあるかなと思ってたんですが、そういうのもなかったですね。たまたま自分のほうがボストンにいる時間が長いので、「これどうすんだ?」とか聞かれることも多くて、そういう感じで話すようになりました。ぼくはレッドソックスには5年在籍していて、常に日本人はいましたが、シーズンを通してずっと一緒にブルペンにいる選手は初めてだったし、上原さんには非常に良くしていただいてます。
 
Q 上原さんらしい。というエピソードはありますか?
A 意外とぼくが気を遣って、絡みに行かなかったりすると、逆に「絡んで来いよ」みたいな感じになるんですよね。ゲームが5、6回になって先発の球数が増えると、中継ぎって緊張感を高めるんです。それなのに絡んでくるし、ぼくもぼくなりのルーティンがあるので、「入ってくるなー」と思うこともありましたけど、でもそれも2年やって慣れました(笑)。8割くらいはふざけたことしか言ってないですね。1、2割たまにいいこと言ってくれるんですが、それを聞き逃さないようにすることが大事だな、と思ってます。
 
Q 上原さんってどんな人?
A 急に絡んできたり、さっき言ってたことと違うことしたり。おもしろい人ですね。集中切るなよ、と言いながら、めっちゃでかい声でわーわー言うし(笑)。そういう、いい意味で適当な感じで、それはそれでいいのかな。と。気にしないっていうのも上原さんのいいところだと思います。ぼくもああいう選手になれたらもっと楽に野球ができるのかなと思う。非常に切り替えもうまくて、もし打たれても、次の日まで引きずらない。本人は引きずっているかもしれないけど、それを感じさせないくらい、いつもと変わらない感じでいます。これだけの実績を残している方だからこそできることだと思います。試合前の準備もしっかりされていますし、そういうところは見習いたいですね。だからこそあの年齢までやっていると思うし、歳を言うとまた怒られるからあまり言わないけど(笑)、ぼくにとって上原さんと一緒にできるのはいい野球人生の一つです。
 
「タズ(田澤選手)は言ってることと、思っていること違うと思うわ(笑)。真面目な話してないな、あいつとは」って思ってるだろうし、「去年は、あいつがいるから助かった部分も多いな」って、お互いそう思っていると思います。
 
 
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 試合前の練習、上原投手はリラックスした表情でピッチャー陣の集合場所であるライトに現われる。自身から積極的にチームメイトにも話しかけるが、求められれば若手へのアドバイスにも答える。「彼の周りにいたら、何かおもしろいことが起きるんじゃないか」という人を引きつける魅力と、技術面においては「なにか盗めるものがあるのではないか」という、選手としての信頼も厚い。
 
 “通勤”はホテルと球場の往復の毎日。日々変わらない生活にも見えるが、天候も違えば、試合展開も毎日異なる。国内なのに厄介な時差もあれば、もちろん自身のコンディションも、毎日同じはずはない。そんな環境の変化にも左右されず、自身のやるべきことをきちんとこなしていく。
 
 想像してほしい。もし、自分の仕事がいつどんな形で始まるかわからない。たとえ人から引き継いだ仕事だとしても、それを成功させなければならないとしたらどうだろう。限られた時間の中で準備をし、そこで起こりうるあらゆる状況を想定し、常に最大限の力を発揮する。どんな状況においても少しの躊躇も許されない。 
 
 世の中には当たり前のことなどひとつもない。あたかもそれが、“当たり前”かのように見せてしまう彼の仕事ぶりの裏には、決して人には見せない日々の努力、そして、どんな時にも変わらない毎日の積み重ねがあることを忘れてはならない。
 
 「今日やったから明日に成果が出るということばかりじゃない」「コツコツやってきたことが実を結ぶ」と話すメジャーが認める「仕事がデキる奴」は、今日もフェンウェイパークでいつもと変わらぬ日々を送っている。

 執筆者プロフィール 

上原浩治 Koji Uehara

ボルチモア・オリオールズ投手

 経 歴 

大阪府出身(出生は鹿児島県)。東海大学付属仰星高校から大阪体育大学に進学し、大学3年時に日本代表に選出。1997年に出場したインターコンチネンタルカップ決勝では、当時国際大会151連勝中だったキューバから先発勝利をあげ、注目された。ドラフトで読売ジャイアンツに1位指名(逆指名)を受け、1999年に入団。ルーキーイヤーに20勝投手となり、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の4冠を獲得し、新人王と沢村賞も受賞。翌2000年は肉離れのため登録抹消となるなど、ケガに苦しむシーズンを送るも、2002年に再び17勝をあげ、優秀選手賞を受賞。2004年にはアテネオリンピック野球日本代表に選出され、銅メダル獲得に貢献。2006年のワールド・ベースボール・クラシックでも日本代表のエースとしてチームを優勝に導いた。2009年にボルチモア・オリオールズに入団。ベテラン投手の一人としてチームを牽引している。

 
 
 
 

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