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社会 伊東乾の「知の品格」 vol.19 歴史背景の知識が理解を導く 言葉の手触りから(3) 伊東乾の「知の品格」 作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

社会
 

(前回からの続き)

 
 
「十字軍」という言葉から何を読み取るか
 
「イスラム国」(IS)を名乗る勢力による、安倍首相のエジプト訪問と声明発表にタイミングを合わせた日本人人質への身代金要求。人質は早くから身柄を拘束されていたわけですから、この事件が十分に計画的だったことは明らかと思います。
 
本稿は犯人側の要求した期限をちょうど過ぎつつある時点で打っていますが、マスメディアやインターネットを通じてもたらされる報道と、それに対する反応を見る中で読み落とされがちな<IS側の文脈>があるように思われました。
 
その一つが「十字軍」という言葉です。新聞報道もされたように、テロリスト側は「8500km以上も離れているが」「(対イスラム国)十字軍に志願した」日本の首相と日本国民に向け、身代金を要求しました。
 
この「十字軍」という言葉が持つ幾つかの自明の意味を見落とさないことが、日本の判断や行動を誤らないうえで非常に重要だと思うのです。イスラムと「十字軍」を巡って幾つか基本的な問題を考えて見ます。
 
 

二つのイスラム帝国

 
ISの主張は大半がイスラム原理主義と呼びうるもので、奴隷制の復活や体刑、公開処刑の実施など近代国際社会が勝ち得てきた多くの民主的で平和な秩序、規律を全否定するもので、こうした行動はそれ自体、国際法から一切許されないものです。
 
しかしISの主張が一定の波及力を持ち、支持勢力も得て伸張した背景には、原理主義=伝統の後継者を自称することで権力の正統性を主張する意図が存在しています。典型的にはISの指導者が「カリフ」を称していることが挙げられます。
 
カリフとは何か? より正確には「ハリーファ・ラスール・アッラーフ」――「アッラーの使徒の代理人」の意味を持つ言葉で、アッラーの使徒とはイスラム教の創始者ムハンマドその人を指します。ムハンマド(570頃-632)は、日本で言えば聖徳太子と同時代を生きた人で、中年を過ぎてから一神教の神アッラーの啓示を受け(その記録が「コーラン」に他なりません)、多神教の聖地である大都市メッカで布教を始めますが、当然ながら激しい排斥を受けることになります。
 
暗殺の刺客を差し向けられたムハンマドは、原始イスラム共同体の人々と共にメッカを逃れ、近郊の町ヤスリブに避難、町の名を<預言者の町>メディナと改め、イスラム共同体の基礎が作られます(622)。
 
ムハンマドが率いるメディナの原始イスラム共同体は、メッカの交易を妨害したり隊商を襲ったり、キリスト教徒や砂漠の民ベドウィンと連携したりしながら戦闘集団として急速に勢力を伸ばしました。晩年のムハンマドはまごうことなき原始イスラム軍の司令官で、630年にメッカを陥落、膨大な数の多神教聖像はムハンマド自身の手で破壊されました。
 
イスラム原理勢力とされる人々が仏像を破壊したりする行為、例えばタリバーンによるアフガニスタン・バーミヤンの磨崖仏像破壊(2001)などは、ムハンマド自身の行動をなぞろうとするものに他なりません。この破壊後の修復に、日本画の平山郁夫さんは生前、多くの私財を投じられました。宗教の原始教義に従うとして、人類の文化遺産の破壊が正当化されることは21世紀の国際社会では容認されません。
 
イスラム共同体がメッカを手中に収めて程無くムハンマドは逝去し、盟友だったアブー・バクル(573-634)がイスラム共同体の軍事・行政指導者の立場を継承します。この際に用いられた称号がカリフ、ムハンマドの直接後継者の時代は「正統カリフ時代」と呼ばれます。
 
いくつかデリケートな史実をスキップしますが、ムハンマドの共同体が発展して世襲王朝となった最初の「ウマイア朝(661-750)」時代に、イスラム帝国は西は現在のスペイン・ポルトガルなどイベリア半島から北アフリカ、全アラビア半島を含む中東から北インドに至る巨大帝国を樹立、イスラム内での勢力争いからこれを襲ったアッバース朝(750-1253)を、ISは自らの理想として掲げます。またアッバース朝から信任されたセルジューク・トルコの東ローマ(ビザンツ)帝国への進入に際して、西欧キリスト教社会が送り込んだのが「十字軍」に他なりません。
 
ISの要求が冒頭に掲げている8500kmという距離、十字軍という名称の背景には、5年を目処に盛期アッバース帝国の版図、つまりアフガニスタンから中東、北アフリカを経てイベリア半島に至る環地中海世界帝国の復興という幟り旗が立てられており、キリスト教世界との宗教戦争と「失地回復」という、よりダイレクトな含意が見て取れます。そうした周辺を引き続き、もう少し深く考えてみたいと思います。
 
(この項続く)
 

  執筆者プロフィール  

伊東乾 Ken Ito

作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

  経 歴  

1965年東京生まれ。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L.バーンスタイン、P.ブーレーズらに師事。東京大学理学部物理学科卒 業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後 進の指導に当たる。西欧音楽の中心的課題に先端技術を駆使して取り組み、バイロイト祝祭劇場(ドイツ連邦共和国)テアトロコロン劇場(ア ルゼンチン共和国)などとのコラボレーション、国内では東大寺修二会(お水取り)のダイナミクス解明や真宗大谷派との雅楽法要創出などの 課題に取り組む。確固たる基礎に基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗っ た同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトな ど大きな反響を呼んでいる。新刊に『しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法』(晶文社)他の著書に『知識・構造化ミッション』(日経 BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社新書)』など多数。

 
(2015.2.4)
 
 
 

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