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かつて“天才”と呼ばれた日本人ライダー・宮城光氏が語るオートバイレースの世界。アメリカでのレース活動、「伝える」側に立つという試み、ホンダとともに挑んだバイクにまつわる様々な活動・・・。「バイクに乗る」ということを軸にして多様なビジネスに携わってきた宮城氏が、いま、そしてこれから取り組んでいこうとしているものとは・・・。
 
 
 幼い頃、私は少年ジャンプに掲載されていた「実録本田宗一郎物語」を読んでホンダのファンになった。「いつかホンダのバイクに乗る」という夢を抱き、念願叶ってホンダのワークスライダーとなり、現役を退いてからもホンダとともに、バイクにまつわる様々な活動に携わることにもなった。
 ホンダに対する熱い気持ちでは人後に落ちないつもりではあったが、ホンダの創業者、本田宗一郎氏の「得手に帆あげて」という言葉を知ったのは、恥ずかしながら、そんなに昔のことではない。
 
 自分の得意なことを見つけ出したら、どんなに苦しくても全力で挑め。自分の誇りにかけて、やり続けろ。苦しみの先に喜びは必ずやってくる──。
 この言葉を知って「これこそ私にとっての救いの言葉だ」という気持ちを抱いた時のことは忘れられない。私のこれまでのレーシングライダーとしての生き方、「伝える側」に立っての活動、そして、これからどう生きていきたいのかということも、全てこの言葉に集約される。そう思ったからだ。
 
 私は少年時代に学校にもほとんど顔を出さないほどだったから、「こういう大人になりなさい」と模範を示せるようなことは何もしてこなかったし、難しい数式を駆使してものづくりに携わることもできない。できること、つまり「得手」は「上手にバイクに乗ること」だけだ。しかし私はいま、いくつかの不釣り合いな“野心”を抱いている。
 
 

先人の築いた繁栄の礎を、後世に

 
 私は歴史や経済を語ることができるような立場にはない。それでも、「日本の近現代史」を若い人に対して伝えるという役目も果たせるのではないか──それは、私の抱く“野心”のひとつだ。
 
 第二次世界大戦によって焼け野原になってしまった日本が短い期間で復興を遂げられたのは、ホンダをはじめとしたメーカーたちが世界へと打って出てその優秀性を世界へと知らしめ、外貨の獲得に貢献したから、というのは明らかな事実だ。
 その代表選手がマン島TTレースや世界グランプリ、F1といった舞台で活躍したホンダ製レーシングマシンであり、それらはいまもホンダの企業ミュージアム、ホンダコレクションホールで動態保存(エンジンに火を入れれば走らせられる状態で保存すること)されている。
 
 1960年代に世界グランプリを席巻したRC149やRC166、ホンダがF1で初優勝を記録したRA272・・・。
 走行確認テストで、これらに代表されるマシンを走らせるたび、胸に去来するのは、コンピューターも無く、工作機械の精度も現代には遠く及ばなかった時代にそれをつくりあげた先人たちの知恵や工夫に対する畏怖にも似た感情だ。
 毎分22,000回転も回る、時計のように精密な125cc 5気筒エンジン、1.5L V型12気筒エンジンの咆吼、それらは単なる「工業製品」という存在を超えて、「この国はどうやって発展してきたのか」ということを私たちに雄弁に語りかけてきてくれるものだと思う。私たちに日本文化の成り立ちや当時の美意識、宗教観などを伝えてくれる平安時代の寺社と並ぶほどの価値がある、と言っても言い過ぎではないはずだ。
 
 木造建築に適切なメンテナンスが施されなければ、やがて朽ちていってしまうように、この「近現代史の生き証人」は「動かす」ことなくしてその価値を正しく伝えることはできないし、これを生み出した技術も伝承されない。
 「メカニズムを熟知したうえでバイクを走らせる」という技術を用いて、それらを生かし続け、現代日本の繁栄の礎にはこうしたものづくりがあったのだということを、これからも語り続けたいというのが、私の切なる願いだ。
 
 
 
 
 
 
 
 

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