もともとは和歌山県の箕島高校で野球をしたいと思っていました。ただ、なかなか進学の道筋が見つからず、どうしようかと考えていたんです。そんな時、父がたまたま広島東洋カープで活躍された西田真二さんのお父様と知り合いまして。そこでPL学園の入部テストを受けることを勧めていただき、挑戦したところ合格することができました。ただ、入学後は厳しかったですね。先輩の身の回りの世話から炊事、洗濯、掃除まで、ほとんど自分の時間がありませんでした。でも今思えば、あの経験があって本当に良かったと思っています。中学生までは自分さえ良ければいいという考えがありましたが、人のために動き、周囲を見て行動することを学びました。今の自分の基礎は、あの3年間でつくられたと思います。
――夢をかなえられた一方、引退後は決して順風満帆ではなかったそうですね。
そうですね。子どもが3人いるので、とにかく家族を養うために必死でした。大阪で不用品回収の仕事をしていたこともありますし、アパレル関係の仕事を手伝い、ハイエースに布団を敷いて寝泊まりしながら、東京まで納品に行ったこともあります。和歌山では産業廃棄物関係の会社でパッカー車にも乗りました。元プロ野球選手がそんな仕事をしていると驚かれることもありましたが、私は全く気にしていませんでしたね。食べていくためには何でもやる。それだけです。
そんな頃、知人から「野球教室をやってみないか」と声をかけてもらったんです。いざやってみると、多い時には2時間で60人以上の子どもが集まり、それを機に自分でも野球道場を始めました。
――その後は長年にわたって指導者として野球に携わり、教え子の中にはプロの道へ進んだ選手もいらっしゃるとか?
ええ、現役では千葉ロッテマリーンズの安田尚憲や東北楽天ゴールデンイーグルスの内星龍、シカゴ・ホワイトソックスの西田陸浮がいます。オリックス・バファローズの森友哉も小学生の頃に指導していました。ただ、プロへ進んだこと以上に、高校野球を3年間やり遂げてくれた子がたくさんいることが嬉しいですね。野球を通じて、社会に出ても周囲から助けてもらえる人間になってほしい。その思いで指導してきました。
――現在は株式会社北神戸運輸の取締役を務め、神栄建設グループ野球部の監督としても活動されています。
和歌山で働いていた時に、神栄グループの方から声をかけていただいたことがきっかけです。私はこのグループが大好きなんですよ。何より人がいい。特に地神秀治会長には人を惹きつけるものがあり、「この人についていこう」と心から思えた方です。会長からは「役員も野球と一緒や」と言われています。要するにマネジメントだと。実際に仕事をしてみると、会社づくりとチームづくりには共通する部分がたくさんあると感じています。
――北神戸運輸ではどのような役割を果たしていきたいですか?
一つは、社内のクッション役になることです。私の理想は、会社から愚痴を減らすこと。愚痴が減るということは、それだけ働く環境が良くなっているということですからね。現場の仕事についてはまだ勉強することも多いですが、人とコミュニケーションを取り、気持ちを一つにしていくことなら、これまでの経験を生かせると思っています。また、採用にも携わっていますので、若い人たちに「この会社には夢がある」「ここで頑張りたい」と思ってもらえる環境をつくり、新しい活力をもたらしていきたいですね。
――監督として率いる野球部についても、会長からは「負けることは許されない」と発破をかけられているそうですね。
ええ、望むところです!やるからには、日本一を目指したいと思っています。会長も負けることが大嫌いな方ですし、「グラウンドでも何でもつくったる」とまで言ってくださっています。野球を通じて若い選手が集まり、会社で働きながら成長していく。そして会社にとっても新しい力になる。そんな関係性をつくっていきたいと思っています。私自身、これまで野球によって何度も新しい道を開いてもらいましたから、今度は若い人たちに多くの選択肢やチャンスを与えられるような環境をつくっていきたいですね。
――最後に、挑戦するうえで最も大切だと思うことを教えてください。
いざとなったら「ガッツ」です(笑)。私は諦めることが大嫌いなんですよ。人生は自分の思い通りにならないこともあります。でも、そこで逃げずに頑張っていると、不思議と誰かが手を差し伸べてくれることがあるんです。私自身、いろいろなことがありましたが、そのたびに人に支えていただきました。今は会社の役員という立場を任せていただき、大好きな野球にも携わることができています。人生、本当に何が起こるかわかりません。だからこそ、自分を信じて諦めず、目の前のことに全力で取り組む。それが新しい道を開く一番の方法だと思っています。
株式会社北神戸運輸 取締役
神栄建設グループ野球部 監督
岩田 徹
小・中学校時代から野球に打ち込み、PL学園高校へ進学。副主将を務めた1984年には、桑田真澄氏、清原和博氏らと共に春・夏の甲子園に出場し、いずれも準優勝を果たす。卒業後は三菱自動車水島で社会人野球に励み、1988年、阪神タイガースからドラフト4位指名を受けてプロ入りする。現役引退後は野球道場を開き、子どもたちの指導に携わるほか、高校野球の監督を務めるなど、長年にわたって指導者として野球に情熱を注いできた。一方で、不用品回収や産業廃棄物関連の仕事など、野球以外のさまざまな仕事も経験。人との縁を重ねる中で神栄グループとのつながりが生まれ、現在は(株)北神戸運輸の取締役を務めるとともに、神栄建設グループ野球部の監督として、組織づくりや若手の採用にも力を注いでいる。
神栄グループ
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株式会社北神戸運輸
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神栄建設グループ野球部
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神栄建設グループ野球部 監督
岩田 徹
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