「従来通りのやり方では停滞は免れない。
伝統を維持しつつ、外面を変えたいと思った」
壁を乗り越え、皆に感謝を
プロレスラーとして着実に実績を積み重ねていく中、新型コロナウイルスにより、2020年の3月から約3ヶ月間、試合が開催できない状況が続いた。そして2020年6月16日、110日ぶりに無観客での大会が開催。続く2022年9月5日の東京・後楽園ホールにて、2年6ヶ月ぶりの“声出し応援可”の大会が復活した。観客と思うようなコミュニケーションが取れない中、棚橋さんはどのような思いを抱いていたのだろうか。
「率直に言うと、本当に辛い期間でした。全エネルギーをかけてずっと下降線だった新日本プロレスを少しずつ盛り上げていって、その後の連続防衛を経て、新たなスター選手も出てきた中でのコロナ禍だったので、本当に悔しくて。プロレスラー全員が悔しい思いをしていたでしょうし、僕にとっても、これまでのキャリアを全否定されたような、最も絶望した時期でした。しかし、なにぶん僕は現状に打ちのめされても悲観せず、次にやるべきことを探す性分なものですから、『下がったものは、また上げればいい』と、すぐに気持ちを切り替えることができましたよ。目の前の障害をポジティブに捉えて、モチベーションにつなげることができたのも良かったと思います」
棚橋さんはコロナ禍を乗り越えた先、2023年12月に新日本プロレスリング株式会社の代表取締役社長に就任する。プロレスラーと社長を両立させることとなった、当時の胸中についてうかがった。
「本当にふとしたタイミングでのことでした。新日本プロレスの当時のオーナー会社であった株式会社ブシロードで代表を務めていらっしゃる木谷高明さんから、『食事に行こう』と誘いを受けまして。『おいしいものが食べられるぞ』とウキウキで行ってみたら、食事が終わった頃にこう言われたんです。『新日本プロレスの社長になってくれ。それも見てくれだけの社長ではなく、数字の中身まできちんと把握して、業務全体を管理できるまっとうな社長になってほしい。そのために、現役引退についても考えてほしい』――僕はその時に承諾したのですが、できることならば引退する前に、日本全国の応援していただいているファンの皆さんに直接『ありがとう』と伝えたくて、約2年間の猶予をもらいました。その期日が、2026年1月4日の東京ドームだったんです。その間は、365日中5日しか休みがないという状況で、本当にハードなスケジュールでした。でも、コロナ禍の辛い時期を経験していた際に生まれた、『もう一度盛り上げてやろう』という意欲に支えられて、頑張れていましたね」
当時のハードな日々を朗らかに語ってくれた棚橋さん。大変な2年間を乗り越え、2026年1月4日の東京ドームで、満員札止めの中、AEWに所属となったオカダ・カズチカ選手を相手に、現役生活を締めくくった。棚橋さんはどのような思いで臨んでいたのだろうか、そして、引退試合に向けてどのような取り組みをしていたのだろうか。
「満員の観客を目にした時は、本当に嬉しかったですね。僕はファンの頃から、東京ドームの満員札止めは2回見ていまして、それは1996年の新日本プロレス対UWFインターナショナル、そして1998年のアントニオ猪木さんの引退試合なんです。それからは、満員はあったのですが、札止めということはなくて。それが、今回28年ぶりに達成できて感無量でした。僕の名前は、父親がアントニオ猪木さんの本名である『寛至』から一文字取って名付けてくれたもの。それがまんまとプロレスラーになって、社長になって、東京ドームを満員にするなんて、良くできた物語だなとしみじみ思いましたよ(笑)。試合に臨むまでの取り組みについては、幸い僕はまだ、全試合に出場するコンディションが保てていたので、新日本プロレスに所属する選手となるべく沢山シングルマッチをして、自分の思いを次の世代に伝えていこうと活動していました。若手選手たちが自分と試合をすることで、それが少しでも将来の財産になってくれたらという思いがあったんです」