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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 

「泰然自若の姿勢を意識するようになってから、
立ち合いの景色がスローモーションになった」

 

“最強”であり続けた14年

 
2005年以降はケガに苦しめられる時期がありながらも勝ち越しを継続し、2007年5月場所の全勝優勝をもって、ついに横綱の座に上り詰めた白鵬氏。横綱として初めての土俵入りの際には、披露した「型」が大きな話題となった。
 
「横綱土俵入りには2つの型があります。攻防一体を表す“雲龍型”と、攻めの姿勢を強く表す“不知火型”。どちらの型を選択するかについては正直、悩みました。私が尊敬する大横綱の双葉山さんも大鵬さんも雲龍型だったし、大成する横綱の多くは雲龍型で、不知火型は短命だというジンクスもあって。でも、最終的には部屋の大先輩である吉葉山さんと同じ不知火型を選ぶことにしたんです。“悪いジンクスがあるなら自分で変えてやればいい”と。それに、朝青龍さんも雲龍型だったので、ライバルとしてとりあえず逆を選んでおけば良いかなという気持ちも少しありました(笑)」
 
その言葉の通り、白鵬氏は圧倒的な強さで「不知火型=短命」のジンクスを打ち破っていくこととなる。2007年から2015年までは9年連続で年間最多勝。特に2010年3月場所から2011年5月場所にかけては7場所連続優勝を果たすなどまさに無敵だった。誰もが「勝って当たり前」という目で見る中、そのプレッシャーをはねのけて勝ち続けられた秘訣は何だったのだろうか。
 
「実はその頃、日本相撲協会を長く支える東西会の会長が、会う度に“双葉山と似ている”という話をしてくださっていて。そこまで言われるならと過去の映像を見てみると、確かにスタイルが似ていたんです。右四つの体勢から寄り切りや上手投げにつなげる――でも、決定的に違う部分が1つあって、それが立ち合いでした。私は相手より先に攻めるために立ち合いから力強く踏み込んでいくのですが、双葉山さんの立ち合いは、その踏み込みがまったくないんです。相手の出方をうかがって、何をされようと受け止め切って勝つ。まさしく泰然自若、“後の先”の境地がそこにありました。私自身は、“負けられない”という気持ちからどうしても踏み込みたくなってしまうので、双葉山さんのように15日間ずっと踏み込まない立ち合いを続けることは難しかったです。それでも、泰然自若の姿勢を意識するようになってからは、立ち合い中の景色がすべてスローモーションで見えるようになりました。私がもともと持っていた積極的に攻める“先の先”の姿勢と、双葉山さんから学んだ“後の先”の姿勢、2つが合わさったことで、良い結果につながったのだと思います」
 
7場所連続優勝の期間中、白鵬氏はその双葉山氏が持つ歴代1位の連勝記録「69」にも挑戦していた。しかし、2010年11月場所の2日目に後の横綱・稀勢の里氏に敗れ、連勝記録は「63」で止まることとなった。歴代最多の幕内優勝、歴代最多の幕内勝利と、現役時代にありとあらゆる記録を打ち立てた白鵬氏が、唯一塗り替えられなかった記録――そのことについてどのような思いを抱いているのか改めて語ってもらった。
 
「双葉山さんの連勝記録は69、私は第69代横綱と、数字のご縁もあっただけに、その記録を超えたいという気持ちは強かったですし、負けた瞬間はやはり残念でした。でも、歴代3位の連勝記録を持つ千代の富士さんも、双葉山さんも、負けた相手は後の横綱で、私も同じように後の横綱に負けたので、これも何かの因果なのかもしれません。そもそも、私はこれだけ勝ち続けられたことについて周囲には“運が良かったから”と言い続けてきました。ある時、親しくさせていただいている歌手の松山千春さんから、“運という字は軍が走ると書く。戦う人にしか運は来ない”と言われ、それ以来“運”という漢字が好きになったんです。連勝記録はだめでしたが、あの負けを糧にその後も勝ちを積み重ねられましたし、運が舞い込むだけの努力もしてきました。その誇りがなくなることはありません」
 
横綱としての在位期間は史上最長となる14年2ヶ月。酷使し続けた体が悲鳴を上げても土俵では強さを示した白鵬氏。現役最後の場所となった2021年7月場所でも、結果は全勝優勝だった。“最強”のまま引退するという決断をした背景にはどんな思いがあったのだろうか。
 
「皆さんのイメージにはないかもしれませんが、私は現役中に4回もケガで手術をしているんです。特に膝のケガはひどく、医師からも次に痛めたら人工関節だと言われていました。気持ちの面でも、引退の3年ほど前から睡眠薬を飲まないと寝られなくなり、肉体的にも精神的にも限界だったのかもしれません。最後の場所も長い休場明けで、初日はお客さんから割れんばかりの拍手で迎えられて――以前、北の湖さんに“横綱は嫌われてなんぼ、応援されたら終わりだ”と言われたことを思い出しました(笑)。それでも2日目、3日目と連勝したのですが、4日目に体を痛めてしまって。そこで、自分が15日間戦う体ではなくなったことを悟って、10日目を終えた段階で家族や師匠、後輩に引退する意思を伝えました。そうして迎えた千秋楽の日、稽古場に真っ黒なトンボが入って来たんです。トンボは真っすぐ飛んで後ろに下がらないことから相撲では縁起の良い虫とされています。しかも調べてみるとそのトンボはハグロトンボという種類で、羽を閉じた様子が合掌に見えることから神の使者とも言われていることがわかりました。最後の勝負の前に、これほどの吉兆はないですよね。結果、全勝優勝で現役を終えることができました。今振り返っても、相撲に愛され、相撲を愛した25年間だったなと思います」