「木で例えるなら相撲は私の“根っこ”です。
そこから枝葉を伸ばし、花を咲かせていきたい」
相撲という木を育て続けるために
冒頭で触れた通り、白鵬氏は2021年から親方として4年間、後進の育成に当たった後、2025年6月に日本相撲協会を退職して「SUMOグランドスラム」という新たな挑戦のための1歩を踏み出した。その根幹にあるのは、相撲に対する純粋な愛情と情熱だ。
「今、日本は少子化という大きな問題に直面していて、角界もその影響を大きく受けています。力士の数は私が現役の頃の3分の2以下になり、入門者も減る一方。それなのに、大相撲にはいまだに外国人が各部屋に1人しか入門できないルールなどが残っていて、時代と逆行していると感じざるを得ない部分も多くあります。このままでは相撲自体がなくなってしまうかもしれない。そんな危機感を抱いた時に、相撲というものを中からだけでなく外からも改革する活動が必要だと思い至ったんです。私自身を木に例えるなら、相撲は私にとって根っこの部分であり、誰も私から相撲を奪うことはできません。そこに水をあげて育てることで、さまざまな方向へ枝葉を伸ばし、花を咲かせたいと思っています」
もともと、白鵬氏は現役中の2010年から「白鵬杯」という少年相撲の国際親善大会を毎年開催し、力士を目指す子どもたちを育成しつつ、国際的に相撲を盛り上げる活動に勤しんできた。今回の「SUMOグランドスラム」プロジェクトについても、これまでの活動とリンクする部分が多くあるという。
「他のスポーツに目を向けると、例えば大谷翔平さんのように、世界の舞台で活躍するスター選手がたくさんいますよね。それと比べると、相撲という競技にはまだまだ“夢”がないのかなと思うんです。実は、世界の150もの国に相撲があって、その国の横綱がいるし、世界大会も毎年開かれているのですが、そんなこと誰も知らないですよね。逆に言えば、これだけのベースが整っているのに、そこに注目しないのはもったいないと思いませんか?現状ではまだ世界大会の認知も後押しも足りないので、私たちがそこへ積極的に関わっていくことで国際相撲を盛り上げたいと考えています。ゴルフやテニスのように四大大会が開催されて、賞金も設定されればすごく盛り上がると思うし、各国の大会で勝ち上がった選手と大相撲の関取、どちらが強いか証明するマッチが組まれてもおもしろい。そんなふうに相撲がオープンな形で広がっていけば、子どもたちももっと相撲に対して夢を抱けるようになるはずです」
そう語って満面の笑みを見せた白鵬氏。現役時代、数多の目標を達成して夢をかなえてきた同氏は今、新たな夢を手にして少年のように目を輝かせている。
「父と同じ横綱になること。大鵬さんの最多優勝記録を超えること。そんな夢があったから、私はこれまで頑張ってくることができました。誰にとっても、何かに打ち込むためには夢が必要です。今後、私はかつての若乃花さんのように世界各国を訪問して、相撲の魅力をたくさんの人に伝えながら、相撲に取り組む人たちのサポートをしていきます。白鵬杯も引き続き開催し、特にこれまであまりできていなかった少女部門に力を入れたいですね。男女ともに盛り上がれば、相撲をオリンピック種目にできる可能性も高まりますから。そうした活動を通じて、相撲に夢を持てる人が増えれば嬉しいですし、そんな未来を到来させることが私自身の今の夢です」
(インタビュー・文 鴨志田玲緒/写真 竹内洋平)
白鵬 翔(はくほう しょう)
1985年3月11日生まれ。モンゴル国ウランバートル市出身。
モンゴル相撲の横綱でありレスリング五輪銀メダリストの父のもとに生まれ、父が初代・若乃花と対談したことがきっかけで日本の相撲を知る。15歳で来日し、第10代宮城野に声を掛けられ角界へ。入門時は小柄だったが、他を圧倒する稽古と食事でみるみる成長し、番付を駆け上がる。2007年に22歳の若さで第69代横綱に昇進。2010~2011年には63連勝を含む7場所連続優勝を達成するなど最強の名をほしいままにし、2021年に全勝優勝で引退するまでの14年間、「白鵬時代」とも呼ばれる一時代を築き上げた。幕内優勝回数45回、幕内通算勝利数1093勝、横綱在位期間84場所はいずれも歴代1位。引退後は13代宮城野として後進の育成に当たった後、2025年6月に日本相撲協会を退職し、現在は相撲を国際的に普及させつつ競技価値を高める「SUMOグランドスラム」プロジェクトを推進。9月には国際相撲連盟顧問にも就任し、カザフスタン、エストニア、ウズベキスタンなど各国を飛び回っている。
(取材:2025年9月)