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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW


 
プロフィール 1947年、東京都生まれ。早稲田大学理工学部数学科卒業後、実家のディスカウントストア経営に携わる。ホームセンターやディスカウント業態において、「一単品での地域一番化」 という独自の利益拡大方法を生み出し話題となる。ジュエリー業界でも実績を残し、消費者の購買頻度とライフサイクルを数値化した「数理マーケティング」 がビジネス界に大きな影響を与える。以降、数理マーケティングを駆使したオリジナルの手法で、規模・業種を問わず多くの企業支援を成功させた。2000年3月に船井総研代表取締役社長に就任し、2010年3月には代表取締役会長に就任。マーケティングをベースに 「リーダーシップ」「人間力」「人間性」 を柱としたコンサルティング手法を船井総研内に浸透させ、“新生・船井総研” の旗印となっている。主な著書に 『挑戦!グレートカンパニーへの道』(同文館書店)、『ベタ惚れさせるマネージメント』(講談社)、『何があっても倒産させない社長力』(こう書房) など。
 
 
 

企業は何のために活動するかと問われれば、答えは様々だろう。だが、どのような答えが返ったとしても、その根底は2つの根にたどり着く。「売上」 と 「社員の幸福」 だ。企業としてあるからには売上の拡大は不可欠だ。そして、社員の幸福を犠牲にした拡大路線が永続的な成長をうながすものでないことも、もはや明白である。そんな中、今年で記念の40周年を迎えた船井総研の小山政彦会長は、独自の組織成長のありかたを示す。「 “大きな会社” を作ろうとするのではなく、“偉大な会社” を作るべきだ 」―― 小山氏が船井総研を率いて以降、企業社会に唱え続けたアンチテーゼ。そこには、企業家が考えるべき3つ目の根があった。

 
 
 

改革へのギアチェンジ

 
 私が社長に就任したのは今から11年前です。船井総研での叩きあげではなかった私ですが、業績も上げていたことで評価され、社長を任されました。トップとして最初にまず何を考えるか? 当然、会社の売上のことでしょう。私が社長になった当時は、それまで20年間伸びてきた実績が横ばいになっていました。自分の代が来た時に 「このまま横ばいでいい」 と思う社長なんて誰一人いません。だから私はまず、自分の任期である6年で、実績・業績を2倍にするという目標を打ち立てました。
 もちろん、そのためにはやることが多くなるし、リスクを疑う声も出てくる。しかし、やらざるを得なかったわけです。
 というのは、船井幸雄という人物が日本のコンサルティング業界に大きな影響を与えたことは疑う余地もありませんが、ひとつだけ言えることがあった。それは、従来の経営を続けていてもこれからの船井総研が飛躍的に伸びることはないということです。時代が変われば、船井幸雄の基本精神を発展させた上で、新しい風を入れなくてはいけなかったんです。
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 しかし、当時の船井総研はまだ船井幸雄の影響が大きすぎて、いきなりの大改革は難しかった。そこで私は、「ギアチェンジ」 という言葉を提唱して社内改革を進めました。「ギアチェンジ」 とは、そのまま車のギアだと思ってください。6年間を3年ずつに分けて、初めの3年間でギアをローからセカンドに、セカンドからトップに、トップからオーバートップへと切り替える。会社の加速度も年毎に増していきます。そして3年間たったら、グレードの高い別の車に乗り換えて、またローからスタートして3年間でオーバートップに入れる。一般車からフェラーリに乗り変えていくようなものです。会社のグレードが変わっていくのだから、当然その変化が必要です。
 
 
 
 
 

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