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映画は喧嘩や。ビジネスもそうやないんかい ―― 映画監督・井筒和幸が私的映画論にからめて、毎回一つのキーワードを投げかける。第19回はアメリカン・ニューシネマの傑作 『真夜中のカーボーイ』(1969年・アメリカ) から、“立ち止まらない”
 
 
 ♪みんながオレの噂をしてるけど 話してる言葉なんて聞こえない 心の中でこだましてるだけ 人々は立ち止まってオレの顔をじろじろ見るけど みんなの顔なんか目に入らないさ みんなの目の影が見えるだけさ 太陽の当たってる所なら どこへでも行くよ 激しい雨の中も オレはこのスーツ一つでどこでも行くよ オレを置き去りにするなよ 愛してるんだ♪
 
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『真夜中のカーボーイ 』 1969年・アメリカ
ブルーレイ発売中 ¥2,500(税込)
 冒頭から、ニルソンの唄う主題歌 『うわさの男』 が軽やかだ。圧し潰されそうな現実から逃れるために、全て片付けて、どこか遠くに行ってみたくなる、そんな挑発的な映画だった。
 今、そんな気にさせてくれる映画なんて皆目ない。今、住んでいる場所を捨てて、どこか他所に出て行こうと思わせる音楽もない。その街に行けば何が待っているだろうか? 誰もそんな夢の答えなんか求める気がない。どこかへ旅立ってやろうとは思わない。日本中、どこもかしこもテレビや雑誌で紹介されて見知らぬ所など一つもなく、どこも同じ駅ビルがあって、マンガ喫茶とパチンコ屋、サラ金のATMと英語学校と格安の呑み屋チェーンとアメリカより多そうなスターバックス、皆が同じモノを食べ、郊外の全国均一のコンビニ化したシネコンで同じ映画を見て・・・と。だから、誰も今の街を出て、どこか別の街に移り住もうとは思わない。どこに住もうと人生のリスクだけが付きまとうと怯えながら、今の場所に、立ち止まっているだけで精一杯だ。
 
 これは、そんな気分を吹き飛ばしてくれる典型的なアメリカン・ニューシネマだ。こんな所にいたら気が滅入るだけと、テキサスの田舎のレストランで見習いコックをしていたジョーは、カウボーイハットに新品のブーツの装いで職場も今日限りと、スーツケース一つ片手に大陸横断長距離バス(グレイハウンド)に乗りこみ、ニューヨークにやって来る。都会で新しい仕事? そんなことはどうでもいい、都会に来て前と同じ皿洗いをしてどうするんだ、彼の売りは、自分の体とルックス。それを武器に、ニューヨークの摩天楼をほっつき歩く有閑マダムたちを、荒馬乗りの肉体で慰めてやることだった。そして、その稼ぎを元手に飲食店を持つとか会社を経営するとか、ついでに夢も見つけてやろうと、甘い計画かは別にして野望は大きくという訳だ。(いまだに日本でも、東京や大阪や博多で夜のホストになろうと地方から来る若者もいるし、69年のニューヨークだけの話とは思えないほどリアル。)
 でも、ジョーがやることはそのへんのホスト君とは違う、過酷な荒行だった。初めてつかまえた女客はとんだ食わせ者で、なんと娼婦上がりのパトロン持ち。精力を使い果たして、お金を貰うどころか、逆に、有り金を巻き上げられてしまう。上には上がいるって話だけど。
 
 恐ろしい都会に来たとしょげているところに現れるのが、無職で天涯孤独で身体障がい者のラッツオ、“ネズミ” という渾名の男だ。この世の孤独を二人で分け合おうと似た者どうしはすぐに寄り合う。演じたのは若きダスティン・ホフマン。風呂にいつ頃入ったか分からない汚らしいペテン師を見事にこなした。(もう、アメリカ映画界にこんなに何を演じても巧みな俳優はいなくなった、誰がいる? 薄っぺらい演技ばかりで、深みのある役柄が映画から消えて久しい。)このラッツオから、ジョーはキリスト教狂言者の変態男を騙されて紹介されて散々な目にあい、無一文になってホテルも追い出されながら、いがみ合っていたラッツオの住む廃墟ビルの部屋だか何だかわからない一室に、結局、居候する。浅はかな野望だけでニューヨークに出てきたことを、ジョーは改めて後悔する。都会が田舎より厳しいのは当たり前、そんなに簡単に事が叶う訳がない。でも、ジョーは、故郷でデイト中にチンピラたちに襲われ、彼女が狂乱して病院に連れて行かれた呪わしい過去をふり切るため、出てきたのだ。ここでまた、立ち止まってしまってどうするんだ、と思い改める。
 ラッツオは夢を語る。こんな生きようのない都会より、太陽のフロリダに行きたいと。そうか、それならちゃんと売春で稼ごうと二人は決心し、ラッツオがマネージャーになって、ジョーはゲイの学生の相手をしたり、男娼までしながら金を作って、二人は新しい人生を求めてフロリダに向う。ジョーは汚れきったカウボーイハットともお別れするのだが、ラッツオのほうは持病が悪化して・・・、目を開けたまま・・・。
 
 
都会で知り合った唯一人の友人と、立ち止まらずに生きていくと決めた青年の話。ジョー役は新人のジョン・ボイトが鮮烈に演じた。あの乳房切除で話題のアンジェリーナ・ジョリーのお父さん。今、東京の、日本中の、生きあぐねてその場に佇んでしまっている若者たちのために再上映したら、大ヒット間違いなしかも。しがらみを捨てて、よその地に向かう勇気と決断が問われるのも間違いないが。
 
 
 

 執筆者プロフィール  

井筒和幸 (Kazuyuki Izutsu)

映画監督

 経 歴  

1952年、奈良県生まれ。高校在学中から映画制作を始め、1975年、高校時代の仲間とピンク映画で監督デビュー。1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞。以降、『晴れ、ときどき殺人』(84年)、『二代目はクリスチャン』(85年)、『犬死にせしもの』(86年)『岸和田少年愚連隊』(96年)など、社会派エンターテインメント作品を発表。『パッチギ!』(04年)では05年度ブルーリボン最優秀作品賞をはじめ、多数の映画賞を総なめに。舌鋒鋭い「井筒とマツコ 禁断のラジオ」(文化放送)など、コメンテーターとしても活躍。『黄金を抱いて翔べ』のDVDが絶賛レンタル中。

 
 
 
 
 

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