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スーツケース、育毛、かつら

 
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mits / PIXTA
今年もさまざまな分野でコロナ禍の影響が残ってしまったが、ネガティブな影響を受けた分野があるいっぽうでポジティブな波に乗った市場もある。その一つが「ヘアロス対策」市場だったようだ。
 
商品単位で見たときにコロナ禍で一番売り上げが落ち込んだものが「スーツケース」だったとは*1、「いったい我々の社会に何があったのか」を身近なモノに象徴させて掴みたい好奇心を満たして「へぇ!」とか「はっはぁ~」とかいう嘆息と共に流布した雑学知識たが、Withコロナも2年目に入った本邦で、育毛、増発毛、ウィッグ(かつら)の売り上げが着実に伸びているという。「我々の社会に何があったのか」を自身の頭を撫でながら実感できるというのは、年末に際しいかにも喜ばしい、勇気づけられる出来事ではなかろうか。
 
本邦におけるヘアロス対策の老舗といえば何といってもアートネイチャーだろう。同社の売上高は、今春発表の2021年3月期IR資料と先月12日に発表された最新の同資料を経時的に見ると*2、一律10万円の定額給付金が支給された2020年5~6月以降、女性の「育毛サービス」の業績がグッと伸び、そのまま堅調を維持している。やや波が激しいが「育毛商品」の伸びも印象的だ。また、男性に関しては、女性よりやや遅れて21年3月期の下期あたりから「オーダーメードかつら」と「主要商品売上高‐リピート」の項が急伸し、今年9~10月にいったん息切れするまで高水準で推移している。
 
ちなみに、この間の前年比伸び率が最も高かったのは2021年4月の女性の「増毛」で1236.1%。次点が同じく女性の「主要商品売上高‐新規」で926.7%である。コロナ禍で店舗の稼働を縮小していた2020年同月との比較とはいえ、店を再開したら12倍以上のお客さんが来たというのは、他業界からは羨ましいとしか言いようがない。
 
 

きっかけはオンラインミーティング?

 
この状況をもたらした要因として、今回起きた社会の変化の中でも特に、リモートワークの普及に伴って増えたオンラインミーティングがその一つになっているという見方がある*3。モニター画面に平等に、時に暴力的に、一律で並べられる同僚たちの顔、顔、顔。その総覧の中で自身の顔を見る――見させられる――ことで、今さらのように自意識が芽生えるということか。
 
いっぽうで、最初のきっかけは必ずしもオンラインミーティングが決め手ではないことを示唆する調査もある。リクルートライフスタイルとホットペッパービューティーアカデミーが行った「2020年薄毛調査報告書」の50ページ、「薄毛が気になりだしたきっかけ」を見ると、「オンラインミーティングなどで自分の顔を見る機会が増えた」ことがきっかけになったという回答は、2020年は2019年に比べ、男性は0.5%→0.1%、女性は0.6%→0.2%にむしろ減っている*4
 
市中感染状況の評価ではあるまいし整数未満のパーセンテージの変動で何がわかるかという疑問はありうるとしても、気になり出すきっかけがオンラインミーティングであるならば、2020年は増えていないとおかしいはずだ。そう考えると、いつの時代も「鏡を見ていた時」が一番の気付くきっかけであり(男性33.1%、女性28.7%)、同僚だろうが友人だろうが、異性だろうが同性だろうが、「他人の目すべて」が自意識を発動させる、というのが真実であるだろう(男性41.1%、女性61.4%)。
 
 

もともと非対面と好相性のコンプレックス商品

 
ただし、ヘアロスが気になり出してからの具体的な行動に関しては、オンラインはオンラインでも「オンライン診療」がコロナ禍を受けて2020年に解禁されたことが、敷居を下げるのに一役買っているようだ。
 
Japan Business Newsが発行する『JNEWS LETTER』2021年10月18日号によると、2020年以降、男性型脱毛症(AGA)のオンライン診療の申し込みが急増している。頭髪治療の専門クリニックを全国6都市に展開する「Dクリニック」が完全非対面(初診から非対面)のオンライン診療サービスを同年7月に立ち上げたところ、受診件数が前年比300%に増加。グループ全体の売り上げも115%に伸びた*5
 
日本では厚生労働省が2005年からAGAの治療薬を認可しており、自由診療なので正確な数字は把握しきれないものの、現在全国で2000以上のクリニックがAGA治療を提供しているという*6。ヘアロス対策市場のプレーヤーにとって、AGA治療の「医療」というアプローチは競合として見ると脅威だが、AGA治療は内服薬を止めると再び脱毛が進行する可能性が高いとされており、「いったん増えたものを減らしてなるものか」という心理からか、その後植毛・増育毛・かつらに流れてくることも多いようだ。
 
治療とケアは共存共栄している。AGAに限らず、ヘアロス商品のような一連の「コンプレックス商品」は、もともとオンライン=非対面と好相性なのである。
 
 

社内ガバナンスはどうなっている?

 
ところで筆者が聞いたある企業の話では、リモートワークを始めてオンラインミーティングが日常化したところ、男性社員はカメラを普通に起動させるのに女性社員は音声のみで参加する仕方がいつのまにかデフォルトになったという。
 
部屋の中を見られたくないからバーチャル背景を使うのは通常として、さすがにそれは社内ガバナンス的にもフェアネスの観点からもいかがなものか。――と一瞬思ったのだが、「作業画面共有機能付きの電話会議」を最初から志向したのだと考えれば納得がいく。
 
そうでなかったとしても、今後数年のうちに、メンバー全員がアバターになってメタバース空間で会議を行うやり方をデフォルトにする企業は一定割合で出てくるだろう。そう考えると、もし抵抗されれば、ガバナンスの見地からこのケースを問うことは難しそうだ(下手をすればパワハラに問われる)*7
 
 

メタバース空間の可能性

 
さらに考えを進めるなら、例えば重度のアトピーで恒常的に顔が腫れ、外で社会生活を営むことに深刻な心理的抵抗を感じる人にとって、同僚との接触がメタバース空間で完結できる就業環境はかなり魅力的だろう。そういった企業が珍しくなくなれば、就職先の選択肢も増えるはずだ。
 
また、生身の人間の存在の圧そのものが苦痛で在宅就労を選ばざるを得ない人にとっても、リアルの身体から解放されてメタバース空間で振る舞えることは、就業に際しメンタルを変えるだろう。もともとこれらの人々は――リモートで働けるということは――知識・情報産業に従事する知的労働者の割合が高いわけで、彼らのメンタル活性を上げることは当該分野の全体的生産性を底上げするかもしれない。
 
社会のオンラインへのシフトはコンプレックス商品の市場を変えつつある。来年は何を変えるだろうか。
 
 
 
*1 新型コロナ渦中にオンライン通販で売上が伸びた商品、落ち込んだ商品を図解してみたら、「次の一手」が見えた(FINDERS 2020/4/16)
*2 アートネイチャー「月次情報」ページ
*3 スカルプケア・発毛剤の国内市場を調査(富士経済研究所プレスリリース第21006号)
*4 「2020年薄毛調査報告書」(2020年9月10日 リクルートライフスタイル)p50
*5  JNEWS LETTER 2021.10.18(No.1647)(JNEWS.com
*6 同上
*7 ただしフェアネスの観点は依然として残る。
 
(ライター 筒井秀礼)
(2021.12.1)
 
 

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