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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

自分の役割に真摯に向かい
集団の中で発揮する個人力

 
 
ストライカーとして、それと同時にチームのメンバーとしての役割を担い、さらには日本代表として、あるいはクラブチームの一員として。高原選手は様々な立場に身を置きながら、確固たる自分を貫いているという。大切なのはバランスだ。
 

最後に結果を出すという自分の役割

 
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 ストライカーとしてやるべき仕事と、チームの連携の両方を意識して、バランスよくプレーする必要があります。そういった意味で、フォワードは、けっこう難しいポジションで、結局、得点すればチームメンバーが信頼を寄せてくれますし、チームとしてのまとまりを生みます。また、ディフェンスに回る時は、チームのメンバーの一人としてルールや役割などを順守して、他のメンバーと協調しながらゲームを進めていかなくてはなりません。チームとしての仕事をきっちりこなしたうえで、さらに 「最後に結果を出す」 という自分だけの役割をまっとうし、しっかり自分らしさを出していかなくてはならないということです。
 日本代表として戦うことと、クラブチームの一員として戦うことでは、気持ち的な部分で大きな違いがあります。やはり、国を背負って戦うわけですから、重みが違いますし、チームに対する思い入れも変わってきます。また、国際試合となると、自分が思っている以上に国民の皆さんからの注目度は高くなっていますから、日本の代表としての自覚を持ち続けていなくてはなりません。サッカー選手としてはもちろん、一人の人間としての人格そのものを見られているというか、周囲への影響力は大きいと思います。必要以上に格好をつける必要はありませんが、マナーを守り、紳士的に振る舞うことも必要です。ふとした瞬間にやってしまった自覚の薄い行動がどこかで指摘されれば、自分にとってもマイナスとなるのはもちろん、サッカー界全体に大きなマイナスイメージを与えかねませんからね。
 
 
 
同じく元日本代表である稲本選手や小野選手とともに、いわゆる 「79年組」 と呼ばれる高原選手。日本サッカーの実力を海外へと知らしめ、そして現在多数の海外選手を輩出することとなった、その礎としての功績は非常に大きい。
 
 

ただ単純に海外でプレーしたいと思っていた

 
 「79年組」 と呼ばれることを意識はしていませんが、仲間意識は強いですし、会えば話が長くなります(笑)。心を許しあっている大切な存在ですね。海外組のハシリと呼ばれることもありますが、道を切り拓いていこうという意識はなく、ただ単純に海外でプレーしたいという思いが強かっただけなのです。ぼくは16歳の時にU-16日本代表でアジア選手権に出場したものの、予選突破できず悔しい思いをしましたので、その後のU-20のワールドユースで出場した時は、もうできるだけ早く海外に飛び出していきたいという気持ちが固まっていました。同期では稲本が早めに海外移籍が決まって、同じ年代の選手が海外に出て頑張っている姿に刺激を受けましたし、それがぼく自身、海外に出ていた時にもモチベーションとなっていたのは確かです。
 同じエスパルスに在籍していた小野をはじめ、ぼくらは年齢的にも、もうすっかりベテランとなってしまいました。チームの中でも、監督など管理層と若い選手のちょうど中間の立ち位置にいます。今までは周りを気にせずに、自分の好きなように、ただ目の前のサッカーに対してのみ真摯に向かっていれば良かったのですが、もはやそれだけではダメでしょう。自分が求めようが求めまいが、チームの全体を見まわしながら何をすべきなのか気にしていかなければならないことは自覚しています。とにかく、エスパルスには飛びぬけて力のある選手がいるわけではないので、チームワークを武器に戦わなくては、良い結果が出せないと思っています。チーム全体が同じ方向を見て戦えるような雰囲気を作っていけるよう考えているところです。
 
 
 
これまでに数多くのチームを経験してきた高原選手だからこそ、指導陣の良しあしに対して、冷静な判断を下せるかもしれない。力が発揮できる “理想の監督” 像について聞くとともに、高原選手自身の未来についても語ってもらった。
 
 

センターフォワードにこだわり続ける

 
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 理想の監督ですか? そうだなあ。選手を平等に扱う監督が理想ですね。どんな選手であっても特別扱いせず、言うべきことははっきりと言う、そんな態度が必要だと思います。ちょっとした特別扱いからチームの中で不協和音が生じてしまうものです。そう考えると、ぼくが最も力を発揮することができた相手は、オシム監督ですね。彼はとにかく選手を平等に扱い、どんな選手に対してもはっきりモノ申していましたから。尊敬できる指導者だったと思います。
 ぼく自身はまだまだ、しばらく選手として充実感を味わいたいと考えています。いまだに完全燃焼はしていません。高校生の時から、センターフォワードというポジションにこだわり、ここまでやってきました。自分はフォワード以外のポジションではプレーができないと貫き、監督とぶつかったこともこれまで何度かありました。貫き通していると、当然、良いことも悪いこともあります。しかし、自分の信念ですからね。自分がやりたいようにやっているのだから、たとえ悪い方向へ転がったとしても結果はしっかり受け止めてきたし、これからもそうするつもりです。一度きりの人生です。サッカー選手としての寿命だって、決して長いものではありません。ですから、悔いは残したくないのです。
 ぼくはこれまで、 “この時期までにこう”  “そのためにこうする” というヴィジョンを、節目節目において自分の中で明確にイメージして進んできたつもりです。この習慣は選手生活だけでなく、その後の生き方を考えていくうえでも、また誰にとっても、大切なことだと思いますよ。
 
 
 
 
(インタビュー・文 伊藤秋廣 / 写真 Nori)
 
 
 
 

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