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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW


 
プロフィール 1968年青森県生まれ。中学から大学まで相撲部で活躍し、大相撲出羽海部屋に入門。入門時は身長が日本相撲協会の新弟子検査基準に達していなかったため、手術でシリコンを頭に埋めて身長を高くするなど、自身のハンディを補う努力を怠らなかった。1990年5月場所で初土俵を踏んだ後は順調に関取に昇進。類まれな相撲センスと、体格差をハンディとせず多彩な技で大型力士を圧倒する取り口から 「技のデパート」、「平成の牛若丸」 と呼ばれ、一躍スターダムに上り詰めた。1999年の引退後は日本相撲協会に残らず、コメンテーター、スポーツキャスターとして活躍。最新の著書 『土俵の矛盾 大相撲 混沌の中の真実』(実業之日本社)で知られざる大相撲の闇を描き、大きな話題になった。
 
 
 
舞の海秀平という男がいる。かつては 「平成の牛若丸」 「技のデパート」 などの異名をとり、角界を席巻した小柄な力士だった。あまねく格闘技において、体格が小柄であることは大きなハンディキャップだ。しかし、舞の海は小錦や曙といった、倍近く大きな体格の力士に果敢に挑み、奇想天外な発想で勝ち星を積み重ねてきた。ときには怪我に泣かされもした。しかし再び土俵に舞い戻っていった。一人の小兵力士が、ハンディをものともせず、目の前に立ちはだかる大きな壁を何度も何度も乗り越えていく 「強い姿」 に、自らを奮い立たせていた人も少なくないだろう。ピンチがチャンスに変わりにくい今のような時代だからこそ、逆境を乗り越えるための舞の海流・思考法をあえて追求してみることにする。
 
 
 

自分より小柄な力士はいなかった

 
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 私は、子供の頃からとにかく体格が小さかったんです。クラスでも一番小さくて当たり前。角界に入ってからも、自分より小柄な力士はいませんでした。
 もちろん、小柄だということにおいて 「大きな相手に立ち向かっていけるのか」 という漠然とした不安はゼロではありませんでしたよ。でも、それ以上に、好奇心のほうが強かったですね。「小兵の自分が、どこまで強くなれるか。どこまで這い上がっていけるか?」 というように。
 小柄な人には小柄な人の相撲があり、大柄な人には大柄な人の相撲がある。だから私は、私だけの相撲を追い求める興味のほうを強く感じていました。私の体重が97~98キロだったのに対し140キロくらいの相手であれば、五分の取組はできていましたからね。さすがに170~180キロの相手だと 「ちょっと大きいぞ」 と思うことはありましたが、結局、相手が大きいということを考えすぎても始まりません。小柄な力士が大柄な力士の戦法をとっても勝つことができないのは自明の理で、そこをはき違えなければ、体格差なんてハンディにならないと考えていたんです。逆に、体が小さいからこそ、勝っていけば自分の価値も上がっていくだろうという挑戦的な気持ちでいましたね。 
 
 
 

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