
インタビュアー 濱中治(野球解説者)
池本 父親が私の手先の器用さに気付いていたようで、「歯科技工士」という仕事が向いているのではないか? と提案してきたのがきっかけです。そこから通っていた歯科医院の歯科医師がたまたま専門学校の非常勤講師をされていることを知り、専門学校へ見学に行かせてもらったんですよ。そこでは石膏を流すほか、単純な彫刻をする作業を体験しました。これなら自分にもできそうだと感じ、歯科技工の道に飛び込んだ次第です。
濱中 簡単そうに言われているものの、とても難しい作業ですよね。潜在的なセンスもあったのでしょうが、勉強もかなりされたのでは?
池本 そうですね。日常生活とは少し離れた分野でしたし、ただつくるだけで良い、というものではなく、ましてや「見る」と「やる」とでは別物でした。幸い、専門学校では気の合う仲間や先輩方がいてくれたことで楽しく学べましたし、たくさんの技術や知識を吸収して卒業することができました。しかし、就職して臨床の現場となると学んできたことが思うように通用せず、打ちのめされましたね。
濱中 高校野球からプロ野球へ進んだときの私と似ているかもしれないなぁ。同じ作業なのに、「プロの現場だとこんなにも雲泥の差があるのか」といった感じでしょう?
池本 おっしゃる通りです。就職してからの5年程度はろくに睡眠時間も取れず、夜中まで作業するのは当たり前でした。職人の世界なので手取り足取りではなく、自分で見て、覚え、考え、そして実行する。その繰り返しで必死でしたね。「早く周りに追いつきたい」の反骨精神で過ごしていましたよ。
濱中 よくわかりますよ。そのハングリーさが、池本代表の技術と知識の土台となったわけだ。
