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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

日本の製造業を支える
老舗の試験機メーカー

 

時代とともに変革を重ね、成長を続けてきた

 
工場内にはさまざまな試験機がズラリ
工場内にはさまざまな試験機がズラリ
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試験の様子
タージン 安田社長は代表取締役として、3代目にあたるそうですね。
 
安田 はい。弊社は私の祖父が大阪市で立ち上げまして、もともとは既存の試験機や、さまざまな実験に用いられる理化学機器を仕入れて販売する商社だったんです。ただ、祖父は仕入れた試験機を見るなり「これなら自社でも製造できるのではないか」と考えたようで、メーカーとしての事業も始めたんですよ。そして、創業の翌1956年には、早くも東京都に工場を開設したんです。
 
タージン 創業1年で工場までつくってしまうとは素晴らしいバイタリティです! 今でいうベンチャー気質に溢れたおじい様だったのでしょうね。その後の歩みも気になります。
 
安田 1960年には豊中市に研究所を設立してメーカーとしての側面を強化し、70年代には東南アジア方面への輸出を開始しました。80年代以降はコンピュータソフトウェアの開発部門を設置したり、海外企業と提携を結んだり、工場の拡充を図るなどして成長を続け、現在に至っています。本社をこの西宮市に移転したのは、2003年ですね。
 
タージン 濃い歴史があるんですね。安田社長は、社会人第一歩目から御社にお勤めを?
 
安田 いえ、私はもともと銀行で営業職に従事していたんですよ。そこで4年ほど勤務した後、当時2代目代表を務めていた父が病気を患ってしまったのをきっかけに急遽、弊社に入ることになりました。弊社でも最初は自社製品を知るという意味も込め、営業などを担当しまして。そして去年2021年に3代目代表に就任した次第です。
 
タージン それは意外です! 非常に精密な機械を生産するメーカーですから、安田社長も技術職のご出身なのかと思っていました。
 
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安田 私は根っからの文系だったので苦労しました(笑)。父は工学部を卒業した技術者だったんですけどね。父が代表を務めていた頃はあまり広報やPR活動に力を入れておらず、会社パンフレットや製品案内などはすべて白黒印刷の簡素なものでした。
 
タージン 宣伝せずとも「良いものをつくれば売れる」というスタンスだったのですね。技術に自信があるからこそのお考えでしょう。昔ながらの職人さんといった印象です。
 
安田 ただ、やはり2000年代以降は誰もが簡単に情報を入手できる時代になりましたので、どれほど製品がすぐれていてもその良さを周知しなければ売れなくなってしまいました。なので私が入社してからすぐにパンフレットを刷新したほか、会社のホームページなどもすべて一からブランディングしていったんです。
 
タージン そこは営業職を務めてこられた安田社長のマーケティング力が生きたのですね! そうした広報戦略もうまくはまって、御社が着実に成長してこられたことがよく伝わってきました。