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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

荷物と一緒に思いを運ぶ
まごころの宅配サービス

 

俳優を目指した経験で人間力が鍛えられた

 
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名高 ところで、塩見代表はもともと俳優志望だったとお聞きしましたよ。
 
塩見 そうなんです。名優名高さんの前でおこがましいのですが(笑)。
 
名高 とんでもない。これまでの歩みも含めて、ぜひ詳しく教えてください。
 
塩見 神奈川県で生まれ育った私は、18歳のときに初めてジェームズ・ディーンを見て「かっこいい! 自分もあんなふうになりたい」と電撃が走ったんです。それで一大決心し、役者になろうと大手芸能事務所の門を叩きました。
 
名高 夢のために思い切って行動に移されたとはすごい! とはいえ、未経験からのスタートですから、最初は苦労することも多かったのでは?
 
塩見 ええ。一生懸命頑張りましたが、私はあがり症で臆病で、何よりセリフの覚えが悪くて(笑)。結局芽が出ないまま、飲食店のアルバイトをしながら生活を支える日々が続きました。そして、とうとう「食べていくためには正社員になるしかない」と俳優の道を諦め、大手運送会社に就職したんです。俳優として結果は出せませんでしたが、とても良い経験でしたし、多くのことを学び、人として成長できたと思っています。
 
名高 自分がやりたいことに果敢に挑戦されたお姿は立派ですよ。大手運送会社には何年勤められたのでしょう?
 
塩見 4年間、ドライバーとしてあちこちを飛び回る毎日でした。もっと長く勤めたいと考えてはいたものの、ある時、管理職になる辞令をもらいまして。当時はまだ若く、移動先が遠方だったこともあり、辞退したんです。私としては、まだまだドライバーとしてサービスを追求したいという気持ちが大きかったんですね。それで退職という形になり、前々から声をかけていただいていた別の大手運送会社に転職したんです。
 
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名高 なるほど。運送会社を渡り歩き、軽貨物運送に転向されたきっかけも教えてください。
 
塩見 実は40代半ばのときに心臓を患いまして。大きな荷物や重い荷物も運んでいましたので、ドライバーとしての雇用が難しいと言われてしまったんです。それでどうしようかと次の仕事を探していたときに出会ったのが、軽貨物運送でした。
 
名高 まさに出会うべくして出会ったのですね。大手運送会社、2社での経験があったわけですから、業務もやりやすかったのではないですか。
 
塩見 そうですね。それまで培ってきた運送業の経験と知識に、新たに勉強した軽貨物のノウハウを融合し、「これならいける」と50歳で思い切って起業しました。