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社会 伊東乾の「知の品格」 vol.15 メディアとクリエータの責任 「ヘイト」を笑う知の品格(4) 伊東乾の「知の品格」 作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

社会
 
 
2014年の日本で社会問題化している「ヘイトスピーチ」は、その大半が在日韓国・朝鮮人をターゲットとするもので、在日中国人や在日イラン人、ましてや在日米国人などを対象とするものはほとんど見かけないように思います。
 
それが「なぜ」なのか、は今は置くとして、韓国・朝鮮半島がかつては「日韓併合」で日本の一部であったこと、1910年から45年まで、35年というまるまる一世代分の期間、朝鮮半島の人々は「日本人」として生きていたこと・・・正確には「日本人」であることを強いられ、改名に始まってさまざまな圧力が加えられていた事実、これは冷静に想起せねばならない史実と思います。
 
そんな中で、もっとも特記すべき一つに「朝鮮人特攻兵」の問題があると思うのです。
 
 

今井正監督の特攻徴募映画『愛と誓ひ』

 
11月22日の土曜日、「わだつみのこえ記念館」の主催、私たちの研究室も共催させていただいて、東大本郷キャンパスで映画上映と、ジャーナリスト裵淵弘さんの講演会を開きました。
 
上映したのは今井正監督・崔寅奎助監督の『愛と誓ひ』(1945/朝鮮映画社)という国策映画で、朝映と言っていますが実質的には東宝の作品と言えるでしょう。海軍省検閲、朝鮮総督府後援、大本営海軍報道部指導という折り紙つきの戦争プロパガンダ映画で、高田稔、金信哉(キム・シンジェ)、志村喬、竹久千恵子といった豪華キャストもさりながら、戦後『青い山脈』などで知られ、「左翼ヒューマニズムの巨匠」と呼ばれた今井正が、戦前このような映画を作っていたことは特記されるべきで、実際のところ今井自身は終生この作品について口を噤んでいます。
 
物語を簡単に記すと、朝鮮出身のエリート海軍士官、村井信一郎少尉が神風特別攻撃隊員としての出撃に先立って旧知の「京城新報」の白石局長を訪問、そこで白井局長宅で養っている元浮浪児の金英龍少年と村井少尉は出会い、二人は記念写真を撮ってもらいます。このあと村井少尉は出撃、米国艦に体当たり攻撃してこれを轟沈したとして広く報道されました。
 
その後さまざまな経緯を経て金英龍少年は「村井少尉の(血のつながらない)弟」の自覚をもって海軍志願、特攻機に乗り、晴れて体当たり攻撃に飛んでゆく・・・というストーリーで、映画の最後は軍艦マーチに載せて以下のようなテロップが画面いっぱいに踊ります。
 
「神鷹は 今日も 敵を太平洋の底に沈めつつある」
 
「これに続いて敵を破るもの」
 
「それは君たちだ 君たちがやるのだ」
 
そのあと「完」とテロップが出て74分の映画が終わります。「特攻美化」という話はいろいろ見たり聞いたりしましたが「さあ、君が特攻に行くのだ。体当たり攻撃で敵を沈めよ」という特攻隊員のリクルート映画というのは生まれて初めて見ました。
 
 

問われぬメディアとクリエータの責任

 
こうした問題については、日本社会にいろいろ議論があると思いますが、まずはこういうものをきちんと見て、その実態をつぶさに知ることはとても大切な「知の姿勢」と思います。
 
どのような事情があるにせよ、こうした映画を撮り、それが広く公開された事実は間違いありません。監督の今井正、あるいは脚本の八木隆一郎といった人々は、職業人として確かに特攻政策に加担した、これは紛れもない事実だし、戦後この作品は存在を消され、今井も終生いっさいこれについて語っていないとのことです。
 
それはそうでしょう、実物を見てしまえば、こんなものを一度でも作ってしまったら、ひそかに自責の念に駆られない訳がないはずです。なんと言っても当人は今井正なのですから。
 
こうした戦時協力は、当時も良い稼ぎになったし、実際、戦争末期で極度に困難な状況下、恵まれた条件で作品を撮ることができ、いまでも視聴に耐える映像が残っています。「戦後民主主義の象徴」と言えるような『青い山脈』が撮られたのはたった4年後のこと。こうしたメディアやクリエータの「転向」は、日本人全体の「転向」と正確に軌を一にするもので、いっさい責任が追求されてこなかったことも、全く同様と思います。
 
しかも今井はここで、単に日本兵というだけではない、さまざまに差別も受けてきた朝鮮半島の若者に「特攻兵として体当たり攻撃に参加せよ」と徴募する映画を作ってしまった。こういう事実をこそ、直視すべきと思うのです。昨今の「ヘイト」を巡る議論の多くは、例えばこうした凄まじい現実に対して、一体どんな返す言葉を持つでしょうか?
 

(この項続く)

 
 
 
 
 伊東乾の「知の品格」
vol.15 メディアとクリエータの責任 「ヘイト」を笑う知の品格(4) 

  執筆者プロフィール  

伊東乾 Ken Ito

作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

  経 歴  

1965年東京生まれ。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L.バーンスタイン、P.ブーレーズらに師事。東京大学理学部物理学科卒 業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後 進の指導に当たる。西欧音楽の中心的課題に先端技術を駆使して取り組み、バイロイト祝祭劇場(ドイツ連邦共和国)テアトロコロン劇場(ア ルゼンチン共和国)などとのコラボレーション、国内では東大寺修二会(お水取り)のダイナミクス解明や真宗大谷派との雅楽法要創出などの 課題に取り組む。確固たる基礎に基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗っ た同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトな ど大きな反響を呼んでいる。新刊に『しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法』(晶文社)他の著書に『知識・構造化ミッション』(日経 BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社新書)』など多数。

 
(2014.12.3)
 
 
 

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