「どんなにつらく、苦しい局面でも、
笑顔を大切にしていれば先の道が明るく開けていく」
柔道が大好き――その気持ちを胸に
谷さんは現役時代、世界柔道選手権大会での7度の優勝、オリンピックで5大会連続のメダル獲得と、圧倒的な強さで人々の心を掴み続けた。結果を出し続けなければならないプレッシャーの中、変わらず勝利を重ねられた秘訣は何だったのか。
「確かに試合の度、プレッシャーはありました。しかしそれ以上に、私を後押ししてくださる皆さんの声援が大きなエネルギーになっていたんです。声援が大きくなればなるほど、その期待に応えたいという思いが芽生えました。何より、応援してくださる皆さんに自分の戦う姿を見てもらえる、というのがとても幸せなことでしたね。あと一番大切だったと思うのは、私が本当に柔道が大好きだということです。何をしていても、片時も柔道のことが頭から離れたことはなくて、生活そのものが柔道をやるために存在していました。もちろん、きついことやうまくいかないこと、逆にイメージ通りに成功すること、さまざまな経験をしましたが、それらすべてが、私を成長させてくれたんです。その他に具体的に取り組んでいたことといえば、「自分の一番良い状態の時に次の目標を立てる」というルーティーンでしょうか。これは、表彰台の上で金メダルをかけてもらった時に、すぐにメディアの方から次の目標を聞かれることが多く、それを意識的に習慣化したものです。メディアの皆さんの前で発言することで、見てくださる方々との約束になるという思いがありましたね。それに、一番良い状態の自分でいる時に次の目標を決めれば、そのゴールに対して最短距離でアプローチできると感じたんです。だからこそ、金メダルを取った表彰台の上で『君が代』を聞いている時に、すぐ『次も金メダルだ』と決意を固めていました」
これまで前人未踏の挑戦を続け、常に有言実行の姿勢を一貫してきた谷さん。谷さんの思う理想の柔道家とは、いったいどのような存在なのだろうか。
「一言で言い切るのはなかなか難しいですね。1つ言えるのは、私は『笑顔』という言葉が好きだということ。真剣な表情できつい練習を頑張る、というのも良いのかもしれませんが、私はやはり、笑顔でさらりとさまざまな局面を乗り越えていけることが大切なのだと思っています。表情が感情をつくることがあるといいますか、つらいことや厳しいことがあっても、表情が明るければ、その先の道も明るく開けていくと思うんです。なので、どんな状況でも笑顔でいられる、そんな心の在り方ができるのが私の理想の柔道家であり、自他協栄させてくれると信じています」
スポーツ界の発展のために奔走
谷さんの活躍は柔道だけにとどまらない。2010年、第22回参議院議員通常選挙で民主党の比例区公認候補として出馬して以降、国会議員としてもスポーツ業界の発展に寄与してきた。
「実は、私はバルセロナ五輪に出場して以降、スポーツ選手を代表して国政の場でお話をする機会が多くありました。最初は16歳の時で、スポーツ界全体のために、お話をまとめて発言するのはとても大変なことでしたが、それでもその場は、さまざまな分野のスポーツを発展させるためにはどのような施策が必要なのか、現状を把握することができる貴重な時間でした。そのような機会を重ねていく中で、スポーツに関する法律の改正や環境整備など、業界全体を大きく変革するには、実際に政治の世界に足を踏み入れて自分の声を届けていく必要があると感じたんです。過去に私が手がけた施策の1つに、スポーツ基本法の制定があります。従来はスポーツ振興法という、スポーツの普及や施設整備などに関する国・地方自治体の施策の基本を定めた法律があったのですが、これは1961年に制定されたもので、今の時代には適応しきれていない部分もありました。そこで、現代に合わせたスポーツに関する施策を推進できるよう、スポーツ振興法を全面改正するため尽力し、2011年にスポーツ基本法を制定することができました。政治の場を離れた今でも、実際にスポーツの世界で実現できている政策がいくつもありますし、国内外からスポーツ発展のためにさまざまなご依頼をいただくこともあります。スポーツで明るく元気な未来を築く一助となれば私も嬉しいです」
柔道と向き合い、己の信じる道を突き進んできた谷さん。最後に、これから何かに挑戦し、活躍したいと考える人に向けたメッセージをうかがった。
「私自身がそうであったように、先ずは『ああいう人になりたい、あの技を覚えてみたい』と憧れからはじまりました。そして憧れがいつしか自分の夢や目標に前進して行きました。自分の好きなことや、やってみたいことに出合うためには、深呼吸しながら自分らしく進んで、実践してみることだと思います」
(インタビュー・文 木村 祐亮/写真 竹内 洋平)
谷 亮子
1975年9月6日生まれ。
福岡県福岡市出身。4歳年上の兄に影響され、7歳の時から「東福岡柔道教室」で柔道を始める。小学5年生で出場した全国少年柔道大会では3位入賞。続く小学校6年生時の全日本少年少女武道錬成大会で優勝を飾る。中学3年生の時、15歳で臨んだ福岡国際女子柔道大会では、当時の世界チャンピオンのカレン・ブリッグス選手との対戦で勝利を収め、多くの人から「YAWARAちゃん」のニックネームで親しまれるように。1992年、16歳の時にバルセロナオリンピック出場を決め、オリンピック柔道において史上最年少メダリストとなる。以降、1996年のアトランタオリンピックでも銀メダルを獲得し、2000年のシドニーオリンピック、2004年のアテネオリンピックと2大会連続の金メダルという快挙を成し遂げる。やがて出産を経て現役復帰し、2007年の世界選手権大会での優勝、2008年北京オリンピックでの銅メダルと破竹の勢いで活躍を続けた。その後は国会議員として、スポーツ基本法の制定など、スポーツ全体の発展に貢献。現在もセミナーを通じて世界中に柔道の魅力を伝えるため、新たな挑戦を続けている。
(取材:2026年1月)