「どんなにつらく、苦しい局面でも、
笑顔を大切にしていれば先の道が明るく開けていく」
中学3年生になった谷さんは、「福岡国際女子柔道大会」に出場した際、当時の世界チャンピオンであったカレン・ブリッグス選手と戦い、わずか28秒の合わせ技一本で破った。この時の試合が、自身の柔道人生を180度変える転機となったという。
『福岡国際女子柔道大会』は世界選手権・オリンピックと並び、BIG3と呼ばれる大会でした。私の地元で開催される唯一の世界女子柔道大会ということもあり、小さな頃から毎年見に行っていたんです。その大会では表彰式の後に、子どもたちが世界チャンピオンの選手たちと実際に組むことができる演舞があって、それに毎年参加していたこともあり、私にとっては出場すること自体が本当に憧れの大会でした。加えて、当時の48kg級の世界チャンピオンであり、私が最も憧れていたカレン・ブリッグス選手も同じ大会に出場するということで、さらに大きな喜びがあったんです。彼女との試合は、今でも覚えています。本当に光栄なことでしたし、実際に相対すると、やはり大きく見えて―でもこういう機会はもう二度とないかもしれないと思い、とにかく自分の練習してきた技を1つでも多く彼女に見てもらおうという気持ちで試合に臨みました。その時の28秒間は、単純な力だけでもなく、技量だけでもなく、精神的な強さだけでもなく、それらがすべて混ざりあったような、本当にさまざまな要素が凝縮された時間だったんです。後に世界選手権やオリンピックなど、大規模な大会を経験しましたが、あの試合の感覚はなかなか得られるものではありません。また、この大会で一番大きかったのは、世の中の皆さんに『YAWARAちゃん』というニックネームで注目していただけたことです。当時はテレビ中継などもなかった柔道が、その後でさまざまなメディアで取り上げていただけるようになりました。『YAWARAちゃん』として皆さんに応援していただけるようにもなり、私もそのニックネームの由来である漫画の主人公のように、オリンピックの舞台で金メダルを取りたいと強く思うようになったんです」
仲間と共に励んだ日々を糧に前進
「オリンピックでの金メダル獲得」という目標に向け、谷さんは着実に歩みを進めていく。1992年のバルセロナ・オリンピックでは、16歳の初出場で見事、オリンピック柔道における史上最年少メダリストに輝いた。当時はどのような練習の日々を送っていたのだろうか。
「バルセロナオリンピックは女子柔道が正式種目に採用されて第1回目となる大会だったこともあり、世界の女子柔道家の念願でもありました。いよいよ自分の柔道家としてのキャリアが始まった感じがしましたね。高校生だった当時は、部活の朝の練習に出て、学校が終わってからも練習を続け、帰宅してからすぐ『東福岡柔道教室』に行って夜遅くまで練習するというスケジュールでした。高校の部活での練習と道場での練習ではできることが異なり、さまざまな環境でたくさんの先生方の教えを聞けるので、とにかく有意義な日々でしたね。そうした毎日は、大変だと思えばそうなのかもしれません。しかし、その大変な日々こそが私を支え、形づくっていく時間でした。練習も試合も、本当に大好きだったんです。世界の舞台で戦うようになってからはより一層、練習して磨いた技を実際に試す、ということを意識し続けました。やはり練習で少しでも手抜きをしてしまうとそれだけの成績しか残せなかったし、前向きな気持ちで練習に本気で打ち込めた時には、さまざまなことが良い方向に向かっていく。気持ちの持ち方や練習への向き合い方で人生が変わっていくことを、身を持って感じていた日々でしたね」