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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 
 
2000年に現役を引退し、2001年からは巨人の二軍投手コーチを務めた阿波野さん。現役時代からセカンドキャリアをイメージしていたのか聞くと、「コーチに興味を持つきっかけが、現役時代にあった」と答えてくれた。
 

ファンのために良いパフォーマンスをする

 
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実は、現役時代に憧れていたのは、引退後スポーツキャスターになることだったんです。ただ、年齢を重ねる中で、コーチの仕事に興味を持つきっかけがありました。年を取ると、どうしても体がイメージ通りに動かなくなってきます。その中で、「こんな方法を取ったらより良いプレーができるんじゃないか」と思いついたときに、若い選手に試してもらうんです。
 
若い選手は元気がありあまっているし、身体能力もまだまだ高いから、試してみた結果がすぐに出るんですよ。それを見て、「これはおもしろいな」と感じました。誰かに思いついた方法を伝えて、より合っているものを試行錯誤していく仕事に興味を持ったんです。
 
実際に指導者となった今、これまで現役時代にお世話になったコーチや監督の方々をすごく参考にさせていただいています。また、かつてオリックスの監督を務められていた仰木彬さんのような指導者になることが目標です。仰木さんは、野茂英雄さんやイチローさんを育成した方です。野茂さんやイチローさんは、当時基本とされていた投げ方や打ち方をしていたわけではありません。でも、それを直さず特性を生かしていったんです。結果、お二人とも世界で活躍するスターになりましたよね。僕はそれを見て、個性の大事さを実感しました。
 
現役時代は、なかなかそういう視点は持っていなかったかもしれません。僕が野球を仕事としてはっきり意識し始めたのも、プロに入ってから5年目くらいじゃないでしょうか。その頃は、故障もあり不調な時期だったんです。調子が良くないと、野球が苦痛に感じてしまうこともありました。でも、そのときに「自分が好きで選んだ仕事なんだから、頑張らないといけない」と思ったんです。
 
たとえ試合で10球しか投げられなくても、その10球を楽しみに球場まで足を運んでくれるファンもいます。応援してくれている人たちのために、短い時間しか登板できなくても、良いパフォーマンスを見せなきゃいけないと考えるようになったんです。そう思えたことで、つらいことがあっても気持ちを切り替えられましたね。
 
 
不調な時期があったことで、責任が芽生え気持ちを切り替えられたという阿波野さん。その責任を背負う中で感じるプレッシャーは、どのように乗り越えてきたのだろうか。
 

観客の応援がモチベーション

 
プレッシャーに打ち勝つには、練習を重ねるしかありません。それが自信につながるんですよ。また、僕が常に考えていたのは、とにかく今より良いピッチャーになりたいということです。「今のままで良い」と思ってしまったら、練習にも身が入らないでしょう。常に上を目指すことが大事だと思いますね。
 
僕が2年目のときに、忘れられない試合がありました。シーズン最後の試合です。「ここで打たれなければ優勝できる」という場面で打たれてしまい、結果優勝を逃しました。人生の最大のターニングポイントだったかもしれません。この悔しさにより奮起して、必ず優勝するという気持ちを持って練習に取り組むようになりました。その思いは、1年後に優勝して成就できたので良かったですよ。
 
ただ、練習はどうしてもきつくてつらいものです。それを支えるモチベーションは、やはりファンの方々の応援なんです。僕は故障により長期離脱していた時期があります。再起して球場に立ったときに、観客の方々の反応を見て本当に嬉しかったんですよ。あとは、やっぱりみんなに「すげー!」って思ってもらいたい気持ちもありました(笑)。観客の方々の反応や、応援が大きなモチベーションになるんです。