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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW


 
1967年生まれ。滋賀県甲賀市出身。滋賀県立守山高等学校を経て筑波大学に入学。この時期にFWからDFに転向し、頭角を現す。1990年に日産自動車サッカー部 (現横浜F・マリノス) に入団。2000年にジュビロ磐田、2001年に浦和レッドダイヤモンズでプレーし、2002年シーズンに惜しまれつつ引退した。日本代表では、1993年アメリカW杯アジア予選で 「ドーハの悲劇」 を経験。4年後のフランスW杯アジア最終予選を勝ち抜き、日本をW杯初出場へ導いた。国際Aマッチには歴代2位の122試合に出場。1995年にはアジア年間最優秀選手賞を獲得。引退後はJFA公認S級指導者ライセンスを取得し、2008年の北京五輪ではU-23日本代表コーチ、2009年より柏レイソルのヘッドコーチを務めている。
 
 
 
現役時代の井原正巳氏は、鋭い読みで危険の芽を摘み取る判断力、そして相手とのコンタクトを厭わない闘志溢れるプレーと、インテリジェンスと激しさを兼ね備えたDFであった。鉄壁の守備から 「アジアの壁」 の異名を取り、日本を代表するプレイヤーの一人として活躍。所属チームや代表でキャプテンを務めた統率力のある選手としての印象も強い。チーム全体の状況を常に把握し、まとめあげてきた経験を持つ井原氏の言葉には、我々のビジネスシーンにも応用できる至言が溢れている。
 
 

チームをまとめた経験は今に活きている

 
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 現役時代に所属チームでキャプテンを務めていた時は、チームが一体感を持てるように努めていました。監督は自分が受け持つチームがどういう戦術でサッカーをするのか、その方向性を示しますよね。そして、選手は監督が思い描くサッカーを理解し、その中で自分の力を発揮できるように努めます。監督のやり方を批判したり、従わなかったりする選手がいれば、チームとしてうまく機能しなくなってしまうし、その小さなほころびが大きくなって、チームが崩壊してしまっては困ります。ですから私はキャプテンとして、日ごろの練習の中で選手全員に目を向けながら、チームに不満を持つ選手が出ないよう気を配っていました。
 クラブチームに所属する選手はおよそ30人です。でも、試合に出られるのは11人しかいません。つまり、途中で選手交代があったとしても、出場できない選手が半数以上いるのが普通です。試合に出られなければフラストレーションがたまりますし、監督に対してよくない感情を持つこともあります。結果を出しているチームであれば、レギュラーでない選手もある程度は納得がいくとは思いますが、逆の場合ではなかなか難しいのも事実です。
 そんな人間として当たり前に持っている感情を察知して、対話を通じて前向きに練習に取り組めるよう導く必要がキャプテンにはあると思います。だから、相手の不平不満を抑えつけるよりも、思っていることをきちんと聞きながら、言うべきことは言う。対話が一方通行にならないように心がけていました。
 その経験は、柏レイソルのヘッドコーチとして働く今にも活きていますね。キャプテンとして、チーム状況を把握しようと努めてきた経験があるからこそ、他のチームメイトを客観的に、冷静に観察することができるようになったし、ちょっとした言動から、感情の起伏が読み取れるようになりました。たとえば、練習中の選手の表情や態度を見れば、「あいつはちょっと不満を持っているな」 とわかるんですよ。監督がその選手に指示をした時も、聞く耳を持って理解しようと努めているかどうかは、見ていればすぐにわかります。そんな時は現役の頃と同じように、その選手に対して何らかのアプローチをするようにしていますね。
 
 
 
 

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