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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

“ビジネスツール革命”を推進した男
Mr.ThinkPadが今伝えたいメッセージ

 
 
内藤氏はまず、ラップトップコンピューターの特長を明確にする作業に着手した。モノクロームのSTN液晶、バッテリーを目標時間たっぷりもたせるための機能条件など、一つひとつ内容を挙げるとキリがないほどの開発の舞台となったのが、今や世界的にも有名になった大和研究所(YAMATO laboratory) だ。
 
 

自社製品へのこだわりからインテグレーションへ

 
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 大和研究所というフィールドの上で、一つひとつの研究と技術開発の結果、ThinkPadは徐々に形づくられていきました。とにかく 「まったく新しいPC」 であることを印象付けるために、それまでPCのボディカラーは白が定説だったのですが、あえて真逆の黒にする指示も受け入れました。つまり、あらゆる面で斬新さを出していくことが求められていた。やがて、ボクシーデザインをベースにしたり、トラックポイントを付けたり、カラーのTFTを装備させるなどして現在のThinkPadに近づいてきましたが、開発の途上ではまるで別物だったと言えるかもしれません。
 というのは、当時はまだ全部のパーツについてメイド・バイ・IBMにこだわっていたのです。プロセッサーもIBM、マイクロチャネルアーキテクチャも、大和研究所で開発したIBM製、グラフィックアダプタもTFTのパネルもハードディスクも、すべてIBM製にこだわっていました。しかし、自社製にこだわることに不満はないものの、そこからどの方向へThinkPadを進化させられるか、正直悩んではおりましたね。
 ちょうどその頃、アメリカの環境に変化が起きておりまして。西海岸でグラフィックの専門メーカーがたくさん出てきたんですね。もちろん伸びる会社もあれば消えていく会社もありましたけれど、彼らは200人くらいの規模でグラフィックを専門にやっている。パーマネントチップひとつとっても、専任のスタッフがそれだけを集中してやっているんです。私たちの研究所にも優秀なエンジニアがいましたが、さすがにグラフィック専門で数百人単位ということはありません。そこで気付かされたのですね。業界で優れたものをインテグレーションしていくことによって、また別の進歩の仕方があるのではないか、と。
 
 
 
94~95年頃、“IBM純正” という殻を脱ぎ去って、業界標準の上に自分たちなりの工夫を組み込んでいくことを考えるようになった内藤氏。業界標準以上のものを作るために、あえて外の血を受け入れる。それは、インテグレーターとして確固たる信念を持っていなければ、ただの 「良いパーツの寄せ集め」 になってしまう。しかし、内藤氏らが作り上げたものは、明らかに業界の度肝を抜くツールだった。「ThinkPad750」 の誕生である。
 
 

お客様の成功のためのツール

 
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発売当時のカタログから (画像提供:レノボ・ジャパン)
 ThinkPadは、そもそもシリアスなビジネスツールです。その軸はどんなパーツを組み合わせても揺るぎません。「これはお客様のお仕事が成功するための機械なんだ」 というコンセプトは、開発を始めた当初から、私も常に口にしていましたし、開発チームにも浸透しておりました。コンセプトが明確であれば、ブランドは自ずと保たれます。コンピューターは高級車のように磨いて喜ぶようなものではないし、誰かに見せて自慢するものでもない。ユーザーがやりたいことをできるツールとして、しかもその存在を忘れるぐらい自然に使いこなせるツールとして、そこにあるべきなのです。
 たとえば、パソコンをライン(ネットワーク) に繋ぐとしましょう。しかし、なかなか繋がりにくいことがあったとしましょう。セッティング不良など、繋がらない理由はいろいろ考えられますが、仮に20分かけてやっと繋がったら、その時点ですでにバッテリーを20分ロスしているわけです。キーボードひとつとっても、叩いていて手が痛くならないように配慮するなど、ツールがユーザーにストレスを感じさせることがないようにしなくてはいけません。ThinkPadも、ストレスフリーな利便性を追求しながらコンセプトを大事にしていけば、必ずお客様の信用を得られると考えていました。
 
  
 
内藤氏と大和研究所の取り組みが結実した 「ThinkPad」 は、市場に投入されるやいなや、ノートPCの一大潮流として存在感を増していった。日本発の技術力が世界へと羽ばたいていったのだ。生みの親としては諸手を挙げて喜びたい。しかし今、内藤氏の胸中では、ひとつの心配の種が頭をもたげている。日本の技術力や生産力の行く末を危惧するからだ。
 
 

競争力の逆転、そして・・・

 
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 アメリカで仕事をしていた頃のことです。私が夜の8時過ぎまで仕事をしていると、一人のアメリカ人の同僚が私に 「俺とお前は不公平だ」 と言いました。理由はシンプルです。アメリカの家族文化の中では、ディナーを家族全員で共にするのは当たり前です。家族の在り方として、家の主人が自宅で家族と一緒に食事をできないということは許されないわけです。だから会社は17時半くらいになると、すっかり人気がなくなります。当時は自宅に帰ると仕事をする術がありませんから、オフィスにいることがすなわち競争力・生産力の中にいることになる。日本人の私は彼らとは家族の文化が違いますから、少々遅くなってもそれほどこたえることはない。しかし、彼らにしてみると、暗黙の了解で決められた時間をオーバーして、競争力・生産力の中に居続ける私は、ルール違反者に見えていたのですね。
 当時のアメリカは日本の経済成長を好ましく見ていませんでした。「日本人が市場に競争の鬼を持ち込んだ」 と、モーレツ世代の働きぶりをうとましく思っていたのです。日本人が働けば働くほど彼らは競争力の中で不利になる。
 しかし、彼らが会社以外で作業することができるツールが現れれば、競争力はイーブンになります。そして、現実としてノートPCの普及により、アメリカのような家族文化を持つ人々も、場所を選ばず日本人と同量の仕事ができるようになった。だから今、とてつもない競争力の逆転が起きてしまっていると私は感じているのです。
 
 
 
 

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