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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

現代を生き抜くための
ワンポイント社会学

投球フォームが変わった?

・・・・・・宮台さんの1985年からの10年間は、性愛フィールドワークの時代と聞きましたが?ブルセラショップ(使用済みの体操服、ブルマーやセーラー服といったものを女子高生が売りこむショップ)や援助交際の時代でもありました。 

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 いまの35歳くらいの方々なら知っていらっしゃいますが、僕は93年から96年まで援助交際を含めた女子高生の生態をフィールドワークして、テレビや雑誌で紹介してきました。ハイティーンの女性が元気だった時代です。
 その時代の僕を知る人たちが『日本の難点』なんかを読むと、政治や外交や宗教の話をしているので「ええっ!」と思われるかもしれません。でもそういう「昔の僕を知る人たち」がこの本を買ってくれていることも事実なんですね。
 「宮台は投球フォームを変えたのか」と思われるでしょうが、それはありません。僕が書く書物の出発点は、数理的方法を使った国家権力の分析ですが、フィールドワークが取り上げられた時代でも、そうした研究を続けていました。
 例えば96年に日米安保見直し協議が始まって翌年に共同声明が出されるんですが、そのときに何の議論も起きないことを、僕はフィールドワークをしながら、おかしいな、と思っていました。どうして誰も何も言わないのかな、と。
 99年の第145回通常国会でもそう。国旗国歌法、有事法制、盗聴法と次々に可決成立していくのに、批判勢力がとんちんかんなことしか言わない。「何か言わなくちゃいけない」とつくづく思いました。それで古巣に帰ったんです。
 援交、少年犯罪、オウム事件などの専門家として世に知られたので、それ以前の僕の出発点を知らない人は「投球フォームを変えた」と感じるでしょうが、女子高生だろうが国家だろうが、僕にとっては同じような疑問の対象なんです。
 実際、僕の本は単著で20冊、共著を含めて100冊あって、テーマが多岐にわたるように見えるでしょうが、実際に読んでいただければお分かりいただけるように、「同じ投球フォームで違った標的に球を投げている」だけなんです。

 

 

・・・・・・最近、考えているのはどういうことですか?

 いろいろありますが、一つは「ワーキングプア問題」です。間違いのない議論がなされていれば僕が出る幕はないのですが、首をかしげるような議論が横行しているので、放っておけないと思って、『日本の難点』で取り上げました。
「内定取り消し問題」でも、マスコミでは企業が悪いという話になりますが、僕から見ると、学生もおかしい。内定取り消しの多くは不動産業で起きていますが、不況が最も深刻な不動産業で内定をとって安心している時点でダメです。
 大学では就職支援委員会の委員長をやってきましたが(2009年3月まで)、自分の将来のことを決めるときに、自分が進もうとする業界の情報を集めて研究するのが当然なのに、多くの学生は情報も集めず、研究もしないのです。
 また、学生たちはテレビコマーシャルが頻繁に流れるような会社に行く傾向があります。ここに二つの携帯電話会社があるとします。オシャレでかっこいい会社Aと、ダサい会社Bです。すると学生は、9対1でA社に流れます。
 でも調べてみれば、財務内容に差があって、Bは堅実な財務内容なのでイメージ戦略に頼る必要がなく、Aは自転車操業なので「B to C」の(消費者向けの)イメージを必死で展開しているという背景事情が分かるはずです。
 社会がどう回っているのかを知らない状態で企業を選んでも仕方ないでしょう。学生はいままで消費者でしかなかったのだから、社会のイメージが歪んでいるに決まっています。それを自分で修正しなければいけないのは当然です。

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 昔なら、イメージに左右されて浮ついた就職活動をする学生に、親が「目を覚ませ!」とか言ったはずです。ところが、いまは親も同じで、オシャレに見える企業に就職できれば、親も鼻高々という具合。まったく馬鹿げています。
 学校選択でも同じです。子供たちが、総理大臣になったり発明博士になるために大学に入るんじゃなく、親を喜ばせるためにいい大学に入るようになります。僕は、革命家になるために、大学に入ろうと勉強しました(笑)。
 でも、いまはそういう人はいないんです。就職もその延長上です。だから、昔の親や、昔いた近所や親戚のおじさんおばさんたちの役割を、社会学者が果たしたほうがいいとなるわけです。
 しばらくの間は、社会も長期低落傾向で続くでしょうが、いつかは目が覚めるでしょう。だって現行のシステムでは世の中が回っていかないのですから・・・。本当に大事なことは何なのかが、いずれは分かってくるでしょう。
 社会がまだ豊かなうちは、余裕があるぶん見当違いのプライオリティ(優先順位)をつけて「自己実現」を望みがちだけれど、いずれ余裕はなくなります。そのときに何が支えになるのか、だんだん分かるようになるはずです。

 

 

他者性に目を向けよう
 

・・・・・・映画評論家としても活躍されていますが?

 映画批評の連載を始めて10年になるけれど、家に山ほどDVDが送られてきます。試写会に行って、家に帰っても観なきゃいけないのは大変です。映画は好きだったのですが、仕事になった時点で好きかどうか分からなくなりました。
 というのは、人にお勧めできる映画は10本に1本あるかないか。徒労感があるからです。最近は映画ライターの人が「提灯持ち」の記事を書くのを見かけます。そうしなければ次から試写会に呼んでもらえないと思うからでしょう。
 実際はそんなことはありません。僕はいつも否定的な批評を書いていますが、試写会には呼んでもらえているし、DVDも山ほど送られてきます。むしろ否定的な批評を書いたほうが、作ったり配給したりする側には、材料になります。
 ほめられることは、元気づけになっても、「自分が思っているのと合致した」「狙いが当たった」ことにしかすぎないので、学びになりません。否定的なほうが、「そういう観方もあったのか、目からウロコだ」と言われるんです。
 その意味で、作品のクオリティをあげようとか、映画界の環境を良くしようと思うのなら、学びにならない「提灯持ち」の記事なんて書いている暇はないはずです。それは会社の宣伝係にまかせて、ちゃんと批評しなくちゃいけません。
 映画は、娯楽性と表現性の両方を兼ね備えなければいけません。出資者と観客の双方に、金額に見合う見返りがあると思ってもらうには、娯楽性が必須です。娯楽とは、時間を楽しむためのものです。
 他方、表現とは「エクスプレス」したメッセージや世界観を受け手に「インプレス」するものです。楽しい時間を過ごしただけじゃ済まない「おみやげ」を抱えて帰ってもらうことです。娯楽性と表現性は必ず両方必要だと思います。

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