地域のインフラを支える
未来志向の電気工事会社
荒波を乗り越え、二人三脚から三人四脚へ

野村 一般家庭や小規模店舗で使われる低圧ケーブルや、大規模工場・商業施設などで使われる高圧ケーブルの引込工事が中心です。
畑山 我々の生活に欠かせないインフラを支える大切なお仕事なんですね。野村社長は電気工事のお仕事には長く携わっていらっしゃるのでしょうか。
野村 もう30年近くになりますね。
畑山 とても長いですね! もともと電気関係の仕事にご興味があったのですか?
野村 いえ、もともと私は大学まで野球一筋でしてね。ところが、大学入学後すぐに上級生と揉めて、たった1ヶ月で辞めることになってしまったんですよ。それで何をしようかと思っていたとき、電気工事の仕事をしないかと誘われ、なんとなく仕事を始めた・・・というのが正直なところです(笑)。
畑山 私も中学時代はプロ野球選手を目指していました。でもせっかく特待生で入った高校の野球部で、先輩と揉めて1ヶ月で退部することになりましてね(笑)。それで高校を中退し、ボクシングの道に進んだんですよ。
野村 畑山さんもですか! なんだか親近感が湧いてしまうなあ(笑)。
畑山 ご縁を感じますよね(笑)。その後、独立しようと思われたきっかけは何だったのでしょう?

畑山 度重なる困難にもめげず、チャレンジされたとは素晴らしいです。
野村 ところがうまくはいかないもので、独立後すぐにリーマンショックに見舞われて・・・。取引先が倒産したり、取引先にだまされたりと、妻には申し訳ないくらい苦労をかけてしまいました。
畑山 そうでしたか・・・。独立後も逆風に見舞われたんですね。
野村 「もうこれで終わりかな」と何度も思いました。でも、2023年に息子の壮馬がそれまで勤めていた会社を辞め、私と一緒に仕事をしたいと言ってくれたことを機に、法人化しましてね。そこから少しずつ業績も安定し始めて、今では大手企業や大規模物流倉庫などの大きな工事も請け負わせていただけるようになったんです。これまで支えてくれた妻には、感謝しかありません。
畑山 奥様の内助の功に加え、ご子息もお仕事に合流されたとは。二人三脚から三人四脚でお仕事をされるようになったんだ、それは心強いですね!