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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

技術と発想力を併せ持つ 工業用パッキンの製造
東洋リコー株式会社 代表取締役 中西孝雄

 
プロフィール 大阪府出身。大学卒業後、祖父が創業した家業である東洋リコー(株)に入社。工業用パッキン・ガスケットなどの製造技術とノウハウを学んだ。その後、2代目の社長であった父の急死に伴い、2009年に代表取締役に就任。リーマン・ショックや東日本大震災の影響による不況など困難な時期を経営者として乗り切った。自社の技術力と斬新な発想力を武器に、新たな製品開発にも注力している。【ホームページ
 
 
 
工業用パッキンやガスケットなどのシール材を製造する、東洋リコー株式会社。創業67年の由緒ある同社を率いるのは、3代目となる代表取締役の中西孝雄氏だ。長年、築き上げてきた実績の上に立つ会社に安住することなく、自社を「ベンチャー企業」と表現する中西社長は、磨き上げた高い技術力に斬新なアイデアを組み合わせ、新しい時代の製品開発にも取り組んでいる。そんな中西社長に、同社が目指す未来についてうかがった。
 
 
 

家族一丸となって困難を乗り越えた

 
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インタビュアー タージン(タレント)
タージン 大阪市で工業用パッキンやガスケットなどシール材の製造を行う東洋リコーさん。まずは、中西社長の歩みを教えていただけますか。
 
中西 弊社は1952年に私の祖父が創業した会社で、私は大学卒業後に入社しました。もともと私は後を継ぐ気はなかったんです。しかし、大学を卒業したのが就職氷河期の時代で、なかなかやりがいを感じる就職先が見つかりませんでした。ちょうどその頃、弊社に勤めていた職人が定年退職することになり、2代目である父が私に声をかけたわけです。
 
タージン なるほど。家業でいらっしゃったということは、お仕事には早くから慣れたんでしょうか?
 
中西 子どもの頃から仕事の現場を見て育ったので、理解はしているつもりでした。ところが、この仕事は非常に専門的な作業が多いんです。ただ見ているのと、実際にしてみるのとではまったく違うのだと、入社してから思い知りましたね。私が一通りの仕事を覚えるまで、実に5年の歳月が必要でした。
 
タージン ご自身が考えていたよりも家業が奥深いものだと、あらためて知ったんですね。そんな中西社長が、3代目に就任したきっかけはなんだったのでしょう?
 
中西 2009年、私が28歳のときに突然、父が他界してしまったんです。そこですぐに私が後を継ぐことになりました。父の死は本当に急で、私は経営についてほとんど教えを受けることができなかったんです。また、ちょうどリーマン・ショックの直後で製造業界全体が不景気に陥り、苦しい時期でもありました。しばらくして今度は東日本大震災後の不況も影響し、材料の仕入れもままならず、同業者との競争は激しくなるばかりだったんです。そうした困難を、私たちは社員、そして家族が一丸となって乗り越えてきました。