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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

娘への感謝から生まれた訪問看護ステーション
株式会社ソレイユ/訪問看護ステーションソレイユ 代表取締役 稲田陽子

 
プロフィール 富山県出身。看護学校を卒業し、1993年4月から県内の総合病院の内科病棟に勤務。5年間勤め、結婚を機に退職した。その後生まれた次女の治療のため、設備の整っている大阪府高槻市へ転居。社会福祉士の勉強を始め、2008年3月に資格を取得。(株)ソレイユを立ち上げた。訪問看護ステーションソレイユを開き、身体障害者や病気の高齢者など、垣根なく多くの人々の訪問看護を手がけている。【ホームページ
 
 
 
身体障害者や精神障害者、病気の高齢者など、さまざまな人の訪問看護を手がける訪問看護ステーションソレイユ。大阪府高槻市でこの施設を立ち上げたのが株式会社ソレイユだ。代表取締役の稲田陽子氏は、重度重複障害児の娘を育てながら看護師、そして社会福祉士として活動。世の困っている母親に手を差し伸べ、周囲に恩返しするために同社を設立した。自らを支えてくれた人々への思いや、娘に注ぐ愛情をじっくりとうかがった。
 
 
 

重度重複障害児の娘を支え高槻に転居

 
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インタビュアー タージン(タレント)
タージン 大阪府高槻市で「訪問看護ステーションソレイユ」を運営する株式会社ソレイユさん。まずは、事業内容をお聞かせください。
 
稲田 訪問看護事業を行っています。慢性疾患や認知症の高齢者、癌終末期の方、精神障害、身体障害のある方など、幅広く受け入れが可能な事業所です。“ソレイユ”はフランス語で“太陽”という意味。かつての私のように、誰に頼ればいいのか、どこに相談したら良いのか悩んでいるお母さん方の助けになりたいという思いから、事業を立ち上げました。
 
タージン それは稲田社長の歩みと、起業のきっかけとなった原点が気になりますね。
 
稲田 私は富山県で生まれ育ちました。卒業後は総合病院の内科病棟に勤務。5年間勤めた後、結婚を機に退職しました。やがて長女、次いで次女を出産しまして。その次女の知陽(ちあき)が仮死状態で生まれ、重度重複障害児になってしまったんです。気管や胃などに病気が見つかり、生後4ヶ月で高槻市の病院に転院しました。知陽は集中治療室に入り、私は当時住んでいた福井県敦賀市の自宅から週に一度会いに行く生活になりました。