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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

大工技術の粋を集めて 
歴史的建造物を守る

 

血と汗にまみれた修業時代

 
矢部 お父様が考える通り、修業は厳しいものでしたか。
 
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染谷 そりゃあ、もう。こちらの道具は、今ではほとんど使われることがない「釿(ちょうな)」というもので、木材を荒削りするための手斧です。私の修業時代にはよく使用していて、使い慣れないうちは手に豆ができるんですよ。そして、そのうちに豆が潰れて出血してしまうんです。それでも使い続けなければなりませんから、痛さで手が道具から離れないように、テーピングで固定していました。
 
矢部 つ、つらそう・・・。
 
染谷 また、月のお小遣いは3万円で、休みは毎月1日と15日の2日間だけ。お酒もテレビも禁止です。それでも、啖呵を切って家を出てきた手前、帰るところはありません。必死で腕を磨き、普通の人より少し早い3年で、「年季明け」となりました。当時のような思いは、二度としたくありませんね(笑)。
 
矢部 大変な修業時代ですね。でも、その修業時代があったからこそ、今の染谷社長があるのでしょう。こちらの会社にはおいくつで入社されたのですか。
 
染谷 25歳のときです。先代はとても采配がうまく、「こいつは大丈夫だ」と見込んだら、すぐに現場を任せてくださる方でした。私も入社してすぐ、棟梁として歴史的建造物の現場を任せていただきましてね。さすがに若かったせいか、他の職人からは「若造のくせに何ができる」と小馬鹿にされたんですよ。当時、腕にはそこそこ自信を持っていた私は、それが悔しくて悔しくて。「そのセリフは現場が終わってからもう一度言ってくれ」と言ったことを覚えています。
 
矢部 その現場は無事に終えられたのでしょうか?
 
染谷 もちろん。そのときは古民家の全解体の修理工事を担当させていただいておりまして。全ての解体修理を終えた後、職人たちとその古民家の囲炉裏で一杯飲み交わし、お互いに打ち解けました。また、一緒にいた歴史的建造物の技師の先生方とは、今でもお付き合いがありますよ。
 
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矢部 それは良かった! そういった試練を乗り越えて、現在はどのようなことを心がけて仕事に取り組んでいますか?
 
染谷 私たちは常に、「1000年のロマン」を求めて仕事をしています。以前手がけた新築の現場で、施主様に「100年は持つでしょうか」と尋ねられ、「100年!? そんな次元で考えないでください!」と施主様と笑い合ったことがあります。私たちは100年やそこらで傷んでしまうような建造物はつくっていません。1000年先まで残り、多くの方に見ていただける建造物をつくるという心意気で仕事をしています。