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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

清掃警備のプロとして
地元の安心・安全に貢献

 
 
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宮地 偶然の出会いが人生を変えたんですね(笑)。新聞配達と清掃業のかけもちは長かったんですか?
 
市村 4年ほどです。清掃が軌道に乗るまで、収入が少しでも増えるように集金を増やしてくださったり、区域を増やしてくださったりと、販売店のご夫婦には本当に良くしていただきました。私が独立後には定期清掃の仕事もくださり、今でも大変感謝しています。当時、私がプレゼントした 「幸福の木」 という鉢植えの木が、天井に届くほど成長しているのを先日見せていただきました。「あれから28年もの歳月が流れているんだな」 と、懐かしく思い出したばかりなんですよ。
 

順調だった清掃業が一転
破産寸前に!

 
宮地 清掃業で独立後、事業は順調に発展したのでしょうか。
 
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会社の再起をかけ、様々な資格を取得した
市村 はい、コンビニエンスストアや地元のスーパーマーケット、全国展開の衣料品店などから受注し、順調に事業は拡大していきました。ところが2004年頃、資金繰りに苦しみ破産寸前に追い込まれてしまったんです。
 
宮地 受注が増えたのに・・・何が理由だったんですか? 
 
市村 一つは、この10年ほどでワックスがけの方法が変わり、多額の設備投資が必要になったことです。さらに従業員が60人まで増えたため人件費がかさみ、同時にこの業界も競争が激しくなり、受注額がどんどん下がるようになってしまったんです。
 
宮地 いろいろな問題が、一度に襲ってきたんですね。
 
市村 ええ。東京や神奈川など、遠い場所の仕事を受注せざるを得なかったのですが、すると経費がかさんでさらに赤字になります。その結果、会社を去る人間が出てきました。あの時は身を切る思いを味わいましたね。しかし、もっと辛かったのは、会社を後にした者たちが、単価を知っていることもあって、在職中に出入りしていた現場に営業活動をしていたことを知らされた時です。とてもがっかりさせられました。
 
宮地 そんなピンチを乗り切るのは、さぞかし大変だったでしょう。
 
市村 はい。そこで家内とも話し合い、「無理に遠方から受注しなくても、近いところで頑張れば絶対に挽回できる」 と、考えを切り替えたんです。それからは、挽回のため、様々なビル管理関係の資格を取得しました。さらに法人として警備業の資格を得る関係もあって、関連グループ会社として株式会社パイオニアセキュリティーを立ち上げ、現在に至っている次第です。
 
宮地 奥様のご協力があったからこそ、現在のパイオニアセキュリティーがあるのですね。清掃業界は、現在も厳しい状況なのでしょうか。
 
市村 この不況ですから、お店も清掃などの固定費はできる限り減らしたいと考えますよね。最近は、掃除をするだけでワックスがかかったようになる床もあり、改装するところが増えているんです。
 
宮地  そこでパイオニアセキュリティーさんが乗り出したのが、ハウスクリーニングや警備などの新事業なんですね!