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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

“億万長者”への道を
家賃収入の確保で指南

1粒100円の米を持って来い

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森下 そもそも高橋社長はどんなきっかけで不動産事業を始めたのですか。
 
高橋 私の社会人のスタートは実家の米屋だったんです。大学は電気工学科に通っていて、電気関係の企業に就職も内定していました。それが、卒業の半年前に実家の従業員が続けて辞めてしまい、父、兄、姉の3人だけになってしまったんです。新しく人を入れるという話だったので、私は卒業までの半年だけのつもりで仕事を手伝い始めました。ところが、いつまでたっても誰も入らない。
 そのうちに、このまま誰も来なければ店を手放すという話になりました。でも、それは残念でしょう。それで私は「5年間だけ店の仕事をしてもいい。そのかわり、新卒の5割増しの給料と、それから、自分の自由にやらせてくれ」と父に申し出ました。父はもう店を売るつもりだったから即座にOKです。それがね、内定していた会社の入社式の前日ですよ。そうして米屋さんになったのです。約15年の間に、埼玉県内で一番の、43店舗の米屋になりました。
 
森下 大活躍ですね!その後、お米屋さんから不動産業に進出したきっかけは?
 
高橋 店舗を増やして儲かってはいたけれど、私が目指す金額からはほど遠かったんです。それであるとき、27歳の夏でしたか、社員は事務員が1人だけの小さな不動産屋に、米の配達に行ったんです。すると社長がテレビで高校野球を見ながら、「1粒100円のいい米を持ってきたか」と冗談で聞いてきて。そんな米はないから「美味しいお米を持ってきましたよ」と返事をすると、「どんなに高くてもいいから、ウチにはいい米を持って来いよ」と。その言葉が耳に刺さりましてね。「不動産ってそんなに儲かるのか」と。「俺は夏の暑いときにびっしょり汗をかいて重い米を配っているのに、仕事もせずテレビを見ている人がそんなに儲かるなら、俺はその10倍の仕事ができるから絶対もっと儲かるはずだ」と思いました。それで、28歳のときに宅建取引主任者の資格を取って30歳で不動産業を始めたのです。
 
 
 

一所懸命やれば「匂い」が分かる

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高橋 最初の1年間はなんとか自分の給料分だけ稼ぎました。そのうちに、仲介では限界があるから建売の分譲住宅を扱おうと思って、銀行に融資を頼みに行きました。すると「初めてでは貸せない」と言われまして。そこで4人の兄姉からの借金と自己資金で2000万円用意して、50坪の土地を買いました。大工さんには後払いの約束をして2棟建てたらすぐ売れて、今度は信用金庫でお金を借りて3区画分建てたら、またすぐ売れて。そうやって10棟、20棟、30棟と次々に増やしていったんです。
 
森下 住宅って、当時はそんなに調子よく売れたものなんですか?
 
高橋 値段が安かったからですよ。他の不動産屋は1棟あたり約300万円の利益を上乗せしていたけど、私は100万円程度に抑えていましたからね。
 ただ、35歳になった頃、それにしても調子が良すぎて変だと思いました。自分は工夫しているから売れるのは当たり前として、業界全体でこうも売れるのは、何かがおかしい、何か匂うなと。それで私は扱いを注文建築に替えようと思って、一度全物件を手放しました。そしたら半年後に第2次石油ショックですよ。私は助かったけど、周りは大変でしたね。