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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW


 
プロフィール 1954年生まれ。東京都荒川区出身。本名は荻野繁雄。高校卒業後、声帯模写の片岡鶴八師匠に弟子入り。1981年にフジテレビのバラエティ番組 『オレたちひょうきん族』 にレギュラー出演して全国区の人気を得た。その後、俳優としてドラマや映画の世界に進出。また、1988年にはボクシングのプロライセンスを取得している。現在は画家としても活躍中。俳優としての主な受賞は日本アカデミー賞最優秀助演男優賞、毎日映画コンクール新人賞、キネマ旬報助演男優賞、ブルーリボン助演男優賞など。群馬、福島、石川、佐賀の各県に個人美術館を開設している。
 
 
 
芸人、俳優、プロボクサー、画家。お茶の間の人気者として名が売れ始めて以降、多様なシーンで才能を発揮してきた片岡鶴太郎氏。その仕事に取り組む姿勢は、目標を達成するために今何をすべきか逆算して行動をおこす、一流のアスリートのようだ。しかし、片岡氏にとってその方法論は、誰に教えられることもなく先天的に身についていたものだったらしい。“腹の主の声” と片岡氏が語る、心の声に従い行動を起こすこと。それは自分の夢に見切りをつけずに正面から闘いを挑む、人生を真摯に生きるための術なのだ。
 
 

芸人を目指して迷わず行動開始

 
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 物心ついた時には 「芸人になりたい」 と思っていました。父は寄席、母は芝居を好んでいたので、幼少の頃からよく演芸や演劇を鑑賞していた。それが影響しているのかもしれません。でも、芸人になるなんて雲を掴むような話です。だから、考えるよりも先に行動。10歳の頃には 『しろうと寄席』 というテレビ番組のオーディションを受けました。受かるかどうかなんて考えない。そもそも落ちると思っていないし、実際に受かりましたからね。
 その番組のADに、後に 『オレたちひょうきん族』 のプロデューサーになる、横澤彪さんがいました。初出演の時、「荻野君はオーディションで動物の物真似をやったけど、他にはどういうのができるの」 と声をかけてくださったんです。それで、一緒にネタをブラッシュアップしてくれました。後の大物プロデューサーに小学生がアドバイスをもらっていたんだから、出会いに恵まれたと思います。もちろん当時は、横澤さんがそんなすごい人になるとは思っていないんですよ。でも、局の人にアドバイスをもらったっていうだけで、幼心にも自信が持てるじゃないですか。だから、その番組に何度か出演している中で番組が打ち切りになってしまったのは、残念でしたね。
 高校では演劇部に所属しました。最初に演じたのは不条理劇で有名な、別役実さんの戯曲 『堕天使』 の 「男B」。「物真似で有名になる、テレビに出る」 という気持ちは変わらないのですが、何かに扮する、何かの役に憑依する仕事、つまり俳優になることも当時から考えていました。でも、高校卒業後に劇団に入ったりはしないんです。私には私なりの方法論があった。それは物真似で有名になることです(笑)。
 ですから、弟子入りしたのは声帯模写の芸人、片岡鶴八師匠でした。弟子入りを許可された時に、私の父と師匠と3人で食事をしたんです。師匠は、私が今まで食べたことがないような豪華な天丼を振舞ってくださいました。そして、「次に天丼が食えるのは、お前が売れた時だ。だから、そうなれるよう頑張りなさい」 と言われたんです。師匠も苦労の多い人でしたから、発破をかけてくれたんだと思います。
 
 
 
 

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