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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 

前人未踏の道を開いた柔道家の
勝利の秘訣と戦い抜く決意の源

 
小学2年生、7歳の時に柔道の世界へ足を踏み入れた谷亮子さん。「柔道が好き」という気持ちを糧に、毎日のように休む間もなく練習に明け暮れ、着実に技を磨いてきた谷さんは、小学校時代から全国大会で好成績を収め、のちに「YAWARAちゃん」のニックネームで全国から親しまれる存在となる。世界選手権柔道大会で7度の優勝、オリンピックで5大会連続のメダル獲得という偉業を成し遂げ、柔道界の先頭を担ってきた谷さんの、ゼロから道を切り開いてきた道程を掘り下げながら、その哲学や思いに迫るインタビュー。
 
 

YAWARAちゃんと呼ばれるまで

 
「YAWARAちゃん」――そのニックネームで数々の大会で輝かしい成績を収め、多くのファンから親しまれてきた谷さん。その原点は、幼い頃の柔道との出合いにあった。
 
「きっかけは、4つ年上の兄が何かスポーツを習いたいと言って、友人と一緒に近くにあった『東福岡柔道教室』で柔道を習い始めたことでした。そこで私も、母と一緒に兄を迎えに行く形でその道場に行きました。当時は柔道を習う女の子は少なかったのですが、それでも何人かお姉さん選手がいて。体格差のある男の子を軽々と投げ飛ばしているのを見て、とてもかっこいいと感じたのが、柔道を始めたきっかけでした。すぐに私も柔道を習いたいと両親に相談したのですが、最初、母からは人を投げたり、投げられたりする激しいスポーツでしたので、とても心配されました。それでも習いたかった私は熱心に気持ちを伝えていると、両親から『そこまで言うなら習わせてみたらいいんじゃないか』という言葉をもらい、小学2年生の時に柔道を始めることができました。兄が柔道を選んでいなかったら、今の私はなかったかもしれません」
 
谷さんの通っていた「東福岡柔道教室」はこれまで中村三兄弟や秀島大介氏など数々の世界チャンピオンを輩出してきた全国でも一二を争う強豪で、福岡県警第一機動隊の中の道場であり、警察官がボランティアで指導する練習熱心な環境だったという。そうした中で、谷さんはどのように日々を過ごしていたのだろうか。
 
当時は、休みはお正月の三が日だけで、362日ひたすら練習に打ち込む毎日でした。先生方も毎日来てくださり、技術面だけではなく、『練習時間に遅れない』『きちんとあいさつをする』といった礼儀作法も教えてくださいました。確かにやっていた練習は周囲から見れば毎日厳しいものだったと思います。しかし、辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。それくらい夢中になれていたんです。たとえ風邪を引いてしまっても、『次の練習までに熱を下げよう』と努力していましたね。何よりそうした日常の中で着実に自分の成長を感じられましたし、いろいろな先生方の粋なアドバイスをうかがえることが本当に魅力的で、柔道のおもしろさにどんどん引き込まれていったんです」
 
小学校5年生の時には「全国少年柔道大会」の団体戦で先鋒を担い、3位入賞を果たす。続く「全日本少年少女武道錬成大会」では優勝を勝ち取るなど、着実に勝利を重ねていった谷さん。当時は121cm、25kgと小柄だった谷さんだが、男女混合で試合や練習が組まれることもある中、自分より体格の大きい選手と戦う局面を次々と乗り越えていった。
 
「私は本当に小柄で、ご飯をお茶碗1杯分も食べきれないタイプでした。食事の時間が一番苦しかったくらいです。食が細い私を見て、母もいろいろと試行錯誤をしてくれましたが、それでもなかなか大きくなれなくて―しかし、たとえ体が小さくても、『小よく大を制す』『柔よく剛を制す』という考えで常に試合に臨んでいました。もちろん恐怖心はありましたが、相手が大きければ大きいほど、『次はあの技をかけてみよう』『練習したことを出してみよう』といった気持ちが強くなりましたね。練習でも試合でも、常に自分より大きい相手しかいなかったので、普段から小柄な体格を生かす戦術をいくつもつくっていました。その経験が、成長してから世界を舞台に戦うにあたって、大切な核になったんです」
 
 
 
 
 

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