「自分の進む道だけではなく、
世界中に柔道の輪を広げられる道を1から切り開きたいと思った」
谷さんは高校卒業後、柔道部のなかった帝京大学に進学。社会人時代も同様に、女子柔道部のなかったトヨタ自動車(株)への入社を決めている。ひたすら柔道に打ち込んできた谷さんが、まったく道のない環境に2度進んだ背景には、どのようなきっかけがあったのだろうか。
「進学の際にはさまざまな大学からお話をいただきました。どの大学に行っても、柔道に関わる皆さんが熱心に環境を整えていらっしゃって、とても素晴らしい練習ができると感じていたんです。その中で、当時の帝京大学の理事長であった冲永荘一先生とお会いする機会がありました。その時に、『YAWARAちゃんが来てくれるなら道場も新設するし、何でも支援したい』というふうに言ってくださったんです。その熱量に導かれるようにして、私もその期待に応えたいという思いから、帝京大学への進学を決めました。何より、柔道ができる環境を1つでも多く世の中に増やしたかったんです。既に安定した環境が整っている道に進むことも考えましたが、これから伝統を築いていける場をつくれれば、今後たくさんの方が柔道に触れられる機会が増えていくと感じました。それに帝京大学といえば、イギリスやアメリカなど海外にも拠点があるので、国際的にも柔道の輪を広げることができます。そうした世界的な柔道の普及に志を持っていた私の思いも、冲永先生は熱心に聞いてくださり意欲的でありました。だからこそ私も、大学進学だけでなく、柔道界全体の発展に大きく寄与していきたいと考えました。その時、『東福岡柔道教室』の恩師である稲田先生も監督として加わり、皆で一緒に挑戦していこうという良い空気感もありましたね。社会人になる時も同じように、トヨタ自動車(株)の6代目代表取締役である豊田章一郎さんから、『同じ方向を向いて一緒に頑張りましょう』とお声がけいただきました。それまでのスポーツ界は企業さんが支援や応援をしてくれる機会はとても少ない状況がありましたので、私もさらに大きな一歩を踏み出すことができましたね」
その後迎えた2000年のシドニーオリンピックでは「最高で金、最低でも金」という自身の言葉通りに金メダルを獲得した谷さん。続くアテネオリンピックでも堂々の金メダル獲得を果たした。オリンピック2連覇を飾った背景には、谷さん自身の努力の他に、トヨタ自動車(株)の全面的なバックアップがあったという。
「シドニーオリンピックは、もう3度目のオリンピック出場ということもあり、多くの方が金メダルを期待してくださっていました。1992年のバルセロナオリンピックでは銀メダル、1996年のアトランタオリンピックでも銀メダルと続いていたので、ここでやはり『3度目の正直』で、金メダルを確実に取りたいという思いに燃えていましたね。社内でも『チームYAWARA』を立ち上げ。心強いバックアップ体制を整えてくださいました。なので、皆が同じ方向を向いていたからこそ取れた金メダルだと思っています。当時の練習では、スタッフの皆さんが私と同じメニューに取り組んでいて、例えば短距離ダッシュ100本となったら、スタッフの方々も同じように100本、一緒に走ってくださったんです。その時の皆さんの熱意は凄まじくて、私が代表として出場しましたが、他のスタッフの方が仮に出場していても金メダルを取っていたのではないかと思うほどでした(笑)。これは本当にトヨタ自動車(株)さんのカラーだと思いますね。私もモーターショーのイベントに参加したり、東京本社にある海外マーケティング部に出社して仕事をしたりと、柔道以外のことも積極的にお任せいただけて。その経験が、柔道にも良い影響として働いたのだと感じています」
出産と柔道の両立でゼロから道を開く
谷さんはオリンピック2連覇の過程で、2003年に元プロ野球選手の谷佳知さんと結婚し、やがて長男を出産する。当時は、結婚や出産を経て現役を続ける女性アスリートが少なかったという。前例のない中、自身の力で道を切り開いてきた谷さんは、当時どのような思いで柔道と向き合ってきたのだろうか。
「当時は、女性アスリートというと、結婚=引退という印象がありましたし、ましてや柔道で出産を経て第一線の世界にカムバックした選手はいませんでした。まだ強いのに、結婚を機に引退をしていく先輩方を見て、「なぜだろう」と率直に思っていました。しかし、いざ自分が同じステージに立ってみると、そもそも現役を続けられる環境が整っていないということに気付いて―『それならば、環境をつくるために自分自身が実践してみよう』と考えるようになりました。『実践してこそ見えてくるものがあり、前に進むためのきっかけがつかめる』というのは、小さい頃から感じてきたことだったので、まずはやってみないと、という気持ちでしたね。実際、出産してからは体重が10kg増えたので、それを戻すところからスタートしました。しかし、いったいどういう練習や生活をすればコンディションが戻るのか、周囲に経験した人がおらず、誰にも相談することができずにいまして。なので、まずは自分自身の体調を考慮しながら、『産後はこれくらいの練習から始めたほうが良い』『骨盤の位置はこういうふうにして戻していけばいい』など、直接、肌で感じたことをもとに体を整えていきました。そして、いざ現役に復帰した際にも、母や監督など、周囲の方々の協力を得ながら、柔道と育児を両立できる環境を新たにつくっていったんです。その中の1つは、全日本の合宿の時には個人でホテルを手配して、練習の間はそこで母に子どもを見てもらい、休憩時間になると許可をもらって面倒を見に行く、というような形をとったことです」
柔道と育児の両立。それが可能な道を、自身の体験から模索した谷さん。「田村で金、谷でも金、ママになっても金です」という言葉を体現し、2007年の世界柔道選手権で金メダルを獲得した。その背景には、これからの柔道界の未来をつくるうえでの大きな覚悟があったという。
「この世界柔道選手権は、私にとって大きな勝負でした。ここで負けてしまうようなことがあれば、『出産してカムバックなんて無理なんだ』というイメージを持たれてしまいます。しかし、一般的な会社に置き換えると、出産してからまた仕事に戻るというのは、これまで多くの女性が大変な苦労をされながら成し遂げてきたこと。だからこそ、私も柔道の世界の中で、『環境があれば、そして理解してくださる方がいれば、女性アスリートが長く活躍できる』と思えるきっかけをつくりたいと考えていたんです。私が優勝することだけではなく、これから続いていく選手たちが同じ境遇で頑張らなければいけない時に、現役を続けられる安定した環境をつくることこそ、自分に課していた使命でした」