妥協せず、継続して突き詰める
選手として、そして指導者として、長く競技と向き合ってきた二人は、技術や結果だけでは測れない、人としての姿勢や考え方についても、それぞれの確固たる思いを貫いてきた。そんな二人が考える“一流”とは、どのような存在なのだろうか。
立浪 やはり、20年以上という長い時間、一つのことに打ち込み続けてきた人は、一流と言っていいと思います。例えばプロ野球では、活躍するほど生活も豊かになります。すると、どうしても甘えが出て、これまで続けてきた練習にも「これくらいでいいか」と妥協してしまうことがある。でも、20年以上現役を続けられる人は、そうした中でも妥協せず、自分を突き詰めることをやめなかったからこそ、長く第一線にいられるのだと思います。もちろん、同じことを長く続けていれば、マンネリを感じる時もあるでしょう。それでも、さまざまな人との出会いから新たな気付きを得ながら、自分のコンディションを保ち、「なにくそ」という気持ちを持って取り組み続ける姿勢が大切ですね。
鍋山 剣道は息の長い競技ですが、例えば20代・30代で全日本選手権を制する人は、もちろん一流です。私は全日本選手権で優勝することはできませんでした。しかし、一流とは、大会で頂点に立った人だけを指すものではないと思います。年齢や実績にかかわらず、常に次の目標を掲げ、挑戦を続けるのも一流の姿ではないでしょうか。指導する立場になった今は、自分の言葉に重みを持たせるためにも、挑戦する姿勢を示し続けたい。60歳が近づき、体が衰えていく中で、どうすれば若い選手と戦えるのかを純粋に考え、取り組み続けられていることは、自分にとっても大切なことです。先ほど立浪さんも言われたように、長く続けることにはさまざまな難しさがあります。それも含めて乗り越えながら挑戦し続けられる人が、最後に“一流”と呼ばれるのだと思います。
一流であり続けるために、妥協せず、挑戦を重ねる――共通した思いを語る二人の歩みは、これからも続いていく。最後に、それぞれが見据えるこれからの目標をうかがった。
立浪 私は40歳で引退して、初めて社会に出たような感覚になるほど、本当に野球だけを続けてきました。しかし、その経験があるからこそ、今の自分があります。野球を通じて学んだことは、人生そのものに役立つことばかりでした。監督を任せていただいた際には悔しい思いもしましたが、その経験にもきっと意味があるのだと思っています。ですから、またチャンスをいただけるのであれば、もう一度監督としてチームと向き合いたいという思いはあります。そのためにも、子どもたちに野球を教えるなど、さまざまな活動を通じて野球界に恩返しをしていきたいです。
鍋山 大学での指導もあと数年かなと自分では思っているので、指導論をまとめた著作や論文を残したいと考えています。また、立浪さんにとっての野球と同様に、私も剣道に人生を導いてもらった一人。ですから今は、ショッピングモールで小・中学生を対象にした剣道体験会をしたり、地域の道場をまとめたマップをQRコードで配布したりといった活動を続けています。これからも、良い人生を歩ませてもらった剣道の普及に対して、積極的に動いていきたいですね。
立浪 挑戦している時には、さまざまな悩みや問題が生じるものです。でも、今だからこそできる失敗もありますし、その経験の中には必ず成長につながるヒントがあります。ですから、この記事を読んでくださった方には、「世のため、人のため」という思いを持ちながら、失敗を恐れず挑戦を続けてほしいですね。目の前の取り組みを通じて、自分自身だけでなく、周囲や社会をより良くしていける人になってほしいと思います。
鍋山 私は、小学生などに座右の銘を求められると、「剣道も人生も飛び込む勇気」と書くんです。剣道では、面に飛び込めば返されたり、逆に打たれたりすることもあります。それでも、自分から飛び込まなければ勝負は始まりません。私自身、中学卒業後に親元を離れてPL学園へ進みました。「強くなりたい」という思いで飛び込んだことが、人生を開くきっかけになりました。新しい道にはリスクもありますが、自分が本当にやりたいことを見据えて、思い切って進むことが大切です。選んだ道が正しいかどうかは、最初はわかりません。自分が本当にやりたいことを見据え、選んだ道を正解にするつもりで努力を重ねる。その積み重ねが、新しい道を切り開く力になるのだと思います。
(インタビュー・文 木村祐亮/写真 竹内洋平)
鍋山 隆弘(なべやま たかひろ)
1969年4月生まれ。福岡県出身。
今宿少年剣道部で剣道を始め、PL学園高校へ進学。高校時代には玉竜旗高校剣道大会を制し、インターハイでは個人・団体の両方で優勝するなど、全国屈指の剣士として活躍した。卒業後は筑波大学へ進み、全日本学生剣道優勝大会で優勝。大学卒業後は同大学院を経て、1996年から筑波大学で指導・研究に携わる。選手としても全日本剣道選手権大会に10回、世界剣道選手権大会に2回出場したほか、国体優勝、全国教職員大会団体優勝など数々の実績を残した。2002年に筑波大学剣道部男子監督に就任し、全日本学生剣道優勝大会で6度の日本一に導くなど、多くのトップ選手を育成。2015年に最短46歳で受審できる剣道最高段位、八段に46歳にて合格。この時の合格率は0.8%であった。2026年3月に博士(体育スポーツ学)を取得し、同年4月には全国から選抜された八段剣士が競う全日本選抜剣道八段優勝大会で初優勝を果たした。現在も研究者、指導者、剣士として剣道を追究し続けている。
立浪 和義(たつなみ かずよし)
1969年8月生まれ。大阪府出身。
PL学園高校では主将を務め、1987年に春夏の甲子園連覇を達成。同年のドラフト1位で中日ドラゴンズに入団し、1年目から遊撃手として110試合に出場。チームのリーグ優勝に貢献するとともに新人王を獲得し、高卒新人として史上初のゴールデングラブ賞にも輝く。その後も内野の中心選手として22年間、中日一筋でプレーし、攻守で大きな存在感を示し続けた。1999年、2004年、2006年のリーグ優勝、2007年の日本一に貢献し、2003年には通算2000安打を達成した。2009年の現役引退までに通算2480安打、1037打点を記録し、通算487二塁打は日本プロ野球歴代最多。ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞5回を受賞するなど、長年にわたり中日を代表する選手として活躍した。2019年に野球殿堂入り。2022年から2024年まで中日ドラゴンズの監督を務め、退任後は野球解説者・評論家として活動し、自身のYouTubeなどを通じて野球の魅力や経験を発信している。
(取材:2026年9月)