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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 

野球と剣道、それぞれの道を歩む二人
“一流”を支える源泉と指導者の哲学

 
PL学園の同級生として、それぞれ野球部、剣道部で全国の頂点を目指した立浪和義氏と鍋山隆弘氏。1987年には、立浪氏が主将を務めた野球部が甲子園で春夏連覇を果たし、鍋山氏も剣道部の主将を務めたインターハイで団体・個人の二冠を達成した。同じ学び舎で強さを追い求めた二人は卒業後、立浪氏はプロ野球の世界で、鍋山氏は剣道の世界で、それぞれ長く第一線を歩んできた。そのキャリアを基に、指導者として人を育てる立場からも、勝負と向き合い続けている。異なる競技を究めてきた二人。その強さの源から勝負の駆け引き、一流の条件、次代へつなぐ指導の心構えまで、それぞれの哲学に迫るインタビュー。
 
 

強豪・PL学園で培われたもの

 
プロ野球の世界で長年活躍し、現役引退後は指導者としてもチームを率いてきた立浪和義氏。一方、剣道家として競技を続けながら、筑波大学で研究・指導に携わり、多くの選手を育ててきた鍋山隆弘氏。それぞれ異なる競技の世界を歩んできた二人だが、その原点の一つにあるのがPL学園での日々だ。高校時代、二人は同じ体育コースの教室で学び、寮生活も共にしていた。競技こそ野球と剣道で異なるものの、全国の頂点を目指す強豪部に身を置いていた二人。当時、お互いをどのように見ていたのだろうか。

立浪 実は、鍋山さんとはクラスが一緒だったんです。野球部や剣道部、ゴルフ部などの部員が集まる体育コースで学び、生活する場所こそ異なりましたが、寮も同じでした。当時から剣道部が全国トップレベルの強豪であることは知っていましたし、毎朝、冬でも朝稽古をしていたのをよく覚えています。寒さで凍った芝生の上を裸足で走り、皆、足の裏がしもやけになって、ささくれが切れていたんですよ。本当に大変な思いをしていたと思います。
 
鍋山 私が見ていた限りでは、むしろ野球部のほうが厳しいという印象がありましたね。われわれ剣道部は卒業するまで、朝練から放課後の稽古まで、決められたメニューを長時間こなすという形でした。一方、野球部は先輩に連れられて自主練習をするなど、自分たちで考えて取り組む姿が見えていたんです。そうした自主性には感銘を受けましたし、少し羨ましくもありました。
 
立浪 野球と剣道は、もちろん異なるスポーツです。それでも、同じクラスで学び、同じ寮で生活し、つらさの度合いこそ違ったかもしれませんが、16歳という多感な時期にあのような環境で過ごせたことは、非常に貴重な経験だったと強く感じています。PL学園には「謙虚さ・素直さ・感謝を大切に」という教えがありました。厳しさだけではなく、そうした人として大切なことを若いうちに学べたことも大きかったですね。
 
鍋山 そうですね。剣道部も野球部も、長い伝統の中で結果を残し続けてきた部でした。そうした歴史の中で培われてきた独特の空気を、私自身も強く肌で感じていたんです。間近で練習に励む先輩方の姿を見ながら、「こうやって強くなっていくんだ」と、日々感じていました。強豪校に入るということは、何かを一から教わるというよりも、その場に根付いた文化をくみ取り、その中で自分がどう考え、どう動くのかを学ぶ時間でした。
 
立浪 鍋山さんの言う通り、まだ技術のない段階からレベルの高い環境に放り込まれるというのは、時には挫折につながることもあると思います。しかし、成長していくうえでは非常に大切な経験でした。そこで長い時間を過ごす中で、「どうすれば先輩に近づけるのか」「どうしたら強くなれるのか」と、若いながらに周囲を見て考えるようになったんです。人によって捉え方はさまざまですが、自分を成長させるためのヒントは周囲にたくさんありました。当時の野球部で言えば、先輩には桑田真澄さん、清原和博さんという二大スターがいたんです。そうした先輩方がひたむきに練習する姿をじかに見られたことで、自分が上級生になり、少し良い成績を残せるようになってからも、慢心することなく野球に打ち込めたのだと思います。その経験は高校時代だけのものではなく、プロに入ってからも、自分の中に生き続けていました。
 
鍋山 私もPL学園では、強さは稽古だけで身に付くものではなく、普段の生活に向き合う姿勢が剣道にも表れることを学びました。PL学園には「献身(みささげ)」という理念が根付いています。これは、日頃の徳の積み重ねが、結果としてスポーツでの好プレーや勝利につながるという考え方です。ですから私も日頃の生活の中で、スリッパを丁寧に並べたり、掃除を一生懸命やったりと、凡事徹底を大切に過ごしていたんです。そうした高度な道徳教育を受けられたことが、競技だけではなく、人生そのものへの取り組み方につながっていると思います。
 
全てが競技だけでなく、生きることそのものにつながる環境の中で、練習はもちろん、礼儀作法や日常での気遣いなど、人として大切なことを学んだ二人。1987年には、PL学園野球部が甲子園で春夏連覇を達成し、男子剣道部もインターハイで団体優勝。鍋山氏自身も個人戦を制した。野球と剣道、二つの競技でそろって日本一に輝いた背景には、どのような強さの源があったのだろうか。

鍋山 やはり、競い合える環境というのが大きかったと思います。剣道部の稽古も厳しかったですが、皆が明確な目標を持って取り組んでいることは強く感じていました。「選手になる」「日本一になる」という思いを持って入部してきた者同士が、日々切磋琢磨する環境だったんです。自分自身も苦しい思いをしながら、それでも周囲を見て「この取り組み方はすごいな」と感じることが多くありましたね。
 
立浪 私もPL学園に入る時から、「強い学校で甲子園を目指したい」という明確な目標を持っていました。1年生の頃は、野球以前に寮生活そのものがとても厳しかったです。それでも、「甲子園に出たい」「甲子園で優勝したい」という思いはずっと持ち続けていました。何より、上級生が常に甲子園へ出場し、実際に優勝する姿も見せてくれていた。身近に大きな手本と目標があったからこそ、苦しい中でも頑張れたのだと思います。
 
▲PL学園時代の立浪氏〔写真左〕と鍋山氏〔写真右〕
 
 
 
 

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