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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 
 
16歳のときに芸能界デビューのキッカケを掴んだ柳沢さん。学生時代から周囲の友だちに演技を披露し、俳優の世界に憧れていたという。そんな柳沢さんに、これまでの俳優人生の一部を振り返っていただいた。
 

環境によって成長できた

 
僕は『ぎんざNOW!』という番組の「素人コメディアン道場」の19代目チャンピオンになりました。初代チャンピオンは関根勤さんで、17代目は小堺一機さん、18代目は竹中直人さんとそうそうたるメンバーですよね。でも、僕はずっと俳優に憧れていまして。青春ドラマに出たいという夢があったんですよ。
 
演技自体は、学校帰りに友だちに披露していましたからね。独学でノウハウを得て来たんです。デビューはドラマ『3年B組金八先生』でした。その後、『翔んだカップル』、『ふぞろいの林檎たち』と経験を積ませてもらったんです。
 
『ふぞろいの林檎たち』は、今でも強烈に覚えている現場ですね。セリフは一字一句、絶対に間違えてはいけないんですよ。たくさん怒られましたよ。脚本の山田太一さんには本当にお世話になりました。共演していた中井貴一とは、戦友と呼べる仲になりましたしね。
 
最終回の撮影前には、貴一と控室で「この撮影が終わったら、何か仕事あるかなぁ」と話していたのを覚えています。当時僕はまだ21歳で、先々は不安だらけでした。今、還暦を迎えて思うのは、今の僕がいるのは、当時の経験があったからです。『ふぞろいの林檎たち』に限らず、当時の撮影現場は怒鳴り声がよく聞こえる環境でしたからね。怖かったですよ(笑)。でもその環境が、僕を成長させてくれました。
 
 
「昔の撮影現場は本当に今と環境が違うから、怖かったよ」と笑いながら話してくれた柳沢さん。「怖かった」と言いながらも、「当時から現場はすごく楽しかった」と語る。そう思えたのは、なぜなのだろうか。
 

愛される人柄であること

 
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僕は当時から現場が楽しかったし、嫌だなと思ったこともないんです。それは、演技が大好きだったから。作品づくりの一員になれているのが、とにかく嬉しかったんですよ。「みんなで良いものをつくろう」という熱い思いが現場にはありました。それに、怒られながらも、スタッフの方々が僕をかわいがってくれているとわかっていましたからね。愛情も感じていたんです。
 
ある撮影が終わった後に「監督、ありがとうございました! 僕が伸びると思って叱ってくれたんですよね!」と挨拶をしたことがあります。そうしたら、「いや、お前バカだから! 普通に言ってもわかんないと思って」と言われました(笑)。
 
今でも覚えているのは、あるドラマを撮り終わった後の打ち上げで、スタッフさんが泣いていたことです。あの頃のドラマは、1作品が26話だったんですよ。だから、その分撮影も長くかかりました。その打ち上げで、職人気質の怖い雰囲気のスタッフさんが「楽しい現場だった」と言って泣いたんですよ。それを見て、チームで作品をつくり上げることの素晴らしさを実感しました。
 
僕は当時の雰囲気を懐かしく思ったり、今の環境を寂しいと思ったりすることもあります。でも、時代は変化するものですからね。当時学んだことを大切に、この時代でも仕事を楽しんでいきたいと思っています。今でも心がけているのは、ちゃんと挨拶をすることと、愛される人柄であることです。
 
スタッフの方に、「息の長い俳優になりたいなら、愛される人柄でなきゃダメだよ」と言われたことがあります。僕が還暦を迎えてもこの世界で活動を続けられているのは、それを意識してきたからかもしれませんね。でも、自分で「愛される人柄」って言ったらダメかな(笑)。