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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 

常に試行錯誤することが
モチベーションを保つ秘訣

 
手探りの状態でスポーツキャスターの道に入った荻原さん。数年の間は、仕事がつらいと感じていたと言う。
 
 

自分にプレッシャーを与えていた

 
実は、スポーツキャスターを初めて最初の3年くらいは、テレビカメラの前に立つのも嫌だと思うほどにつらく感じていたんです。テレビ局に行くのが苦痛でたまらなかった時期もあります。自分の仕事に納得がいかず、ストレスが溜まっていたんです。
 
当時は、友人と食事に行くなどしてリフレッシュするようにしていました。でも、友人と別れて家に帰るとまた仕事のことを思い出して落ち込むんです。今振り返ると、あまり良い循環ではなかったかもしれません(笑)。やっぱり仕事で感じた悔しさは、仕事で返すしかないんですよね。
 
僕がスポーツキャスターとしていただいた仕事は、すべて生放送なんですよ。生放送の場合、「今日の話題だとこういうことをお伝えしたい」と事前にコメントをまとめていても、3秒ほどしか喋る時間がもらえない・・・ということがよくあります。逆に、想定外に長い時間をいただいて焦ってしまうこともありました。
 
そういった部分にも臨機応変に対応することが、プロフェッショナルです。悔しい思いもたくさんしましたね。でも、この仕事を始めて5年くらい経った頃でしょうか。「お前はウィンタースポーツの出身なんだから、野球やサッカーで知らないことがあれば、わからないって正直に言えば良いんだ」と言っていただきまして。その言葉を聞いて、ふっと楽になりました。開き直ることができたんです。
 
僕は、「スポーツキャスターはありとあらゆるスポーツに精通していないといけない」と勝手に思い込んでいたんです。誰にもそんなことは言われていないんですけどね。自分で自分にプレッシャーを与えてしまっていました。それが、「わからないことは正直にわからないと言って良い」という一言で、まるで重い荷物をおろせたような感覚になりましたね。
 
それからは、カメラを前にしてもリラックスできるようになりました。笑顔も増えたと思います。友人や家族からも「安心して見てられるようになったよ」と言われまして。どうやらそれまでは、「何を言い出すのか危なっかしくて見ていられない」と思われていたようです(笑)。
 
 
選手として参加した1998年の長野オリンピックの後も、スポーツキャスターとして数々のオリンピックの場に出向いている荻原さん。やはりオリンピックに懸ける思いには特別なものがあるのだろうか。
 
 

試行錯誤し続けることがモチベーション

 
ありがたいことに、引退以降の冬季オリンピックではすべて現地に取材に行かせていただいています。やはり嬉しいですよ。ただ、ほかのアスリートの方々とオリンピックに対する考え方は全然違うと思います。僕にとってオリンピックは、決して憧れの場所ではなかったんです。
 
僕がオリンピックを目指した理由は、「荻原健司と間違われないため」です。双子の兄である健司は、1992年のアルベールビルオリンピックや1994年のリレハンメルオリンピックで金メダルを取るなどの実績を残していて、いわゆる“有名人”でした。僕は双子で顔がそっくりなので、「荻原健司さんですよね」と声をかけられることが日常茶飯事でして。それがとても嫌だったんですよ。
 
「双子の弟です」と言うと、嘘つきだと言われたり、ガッカリされたりしましたね。人間の尊厳が傷つけられていると感じることもありました。だから、「健司と間違われたくない」「いつか見返してやる」という気持ちでオリンピックを目指していたんです。僕にとってオリンピックは、自分のアイデンティティを確立させるため出場しなければいけない舞台だったんですよ。
 
そうして出場した1998年の長野オリンピックでは、個人で6位入賞、団体では5位入賞を果たし、日本の方々に「荻原次晴」を知っていただけました。ただ、それで僕の中の劣等感が消えたかというと、決してそうではないんです。
 
スポーツキャスターの世界には、元プロテニス選手の松岡修造さんをはじめ、多くの素晴らしいキャスターがいます。周りのキャスターの方々と自分を比較して、足りないところを常に考えながら、試行錯誤しているんです。劣等感を持ちつつ、上を目指して試行錯誤する。それが仕事へのモチベーションになっていると感じます。