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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

市場原理主義に踊らされず
真の価値観を見つけるために

 
 
井筒監督は煙草をふかしながら、インタビューの冒頭から熱く持論を展開する。社会や政治、そして我々を支配する市場原理主義について批判を加える際に見せる、真剣な眼差しは、まさに60年代末期に反体制運動が広がった当時の、多感で傍若無人な少年像を思い起こさせるようだ。
 
 

少数派に価値があることを忘れてしまった

 
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 “誰もがわかりやすい作品”というのは、観る側の人間の偏差値を下げるしかない。だから、子供向けの作品ばかりを世の中にあふれさせてしまうんです。その傾向が見られるようになったのは、何も映画に限ったことではなくて、小説や音楽もそう。この「市場原理主義」の蔓延によるエンターテインメントの劣化が始まったのは、やはり日本がバブル景気に浮かれていた80年代前半からかな。『E・T』や『スターウォーズ』などその典型だったし、最大じゃなく“最小公約数”のエンタメが始まった(笑)。最近の小説なんて、ますます漢字も少なくなって、練り上げられた文体もなく、内容がペラペラになっている気がします。たとえば、ミステリーにしても、昔の作品にはしっかり人の心の闇が描かれていたし、わざと描かれてなくても作家の思いを想像することができました。しかし、ここ数年、書店で平積みになっているベストセラーのミステリーなど、単なるトリックだけ追って、クイズの謎解きか神経衰弱ゲームみたいなモノばかりで、人間の情動や情緒がしっかり描き切れていないから、そこにリアリティも感じられないんです。
 60年代や70年代というのは、いわゆる“少数派”のものに価値を見出していた時代だった。皆が掘り出し物を探して、そして自分が良いと思ったものを、周囲の人間に語って回った。酒場に集まっては映画や文学、音楽談義をするわけですよ。少しでも手を抜くと「え? お前、まだその映画見ていないの?」とか、「その本、読んでもいないで酒飲んでいるのか、愚か者が」って具合に小馬鹿にされてた。そんな情況の中で、本当に胸を打たれ、血が騒ぎ出す作品が人づてに伝えられ、個々の価値観が互いに抗いながら、刺激されることになっていったのです。
 ところが時代の空気のテンションがここまで緩んでくると、人間関係も世知辛くなり、それを巧みに伝えてくれる人間が周囲にいなくなってしまった。そんな習慣はすっかりなくなってしまって、同時に「市場経済優先」が蔓延しはじめ、なるだけ大多数の人が分かるもの、支持されるもの、商品として売れるものが優れているとされるようになって、テレビをはじめ、マスコミこそ衆愚に迎合する装置だから、そればっかり取り上げるようになる。映画も「作家の作品」じゃなくて「○○印の商品」となり果てて、“こんなに凄い至芸があります”ではなく、“こんなモノが皆にウケています”と煽り立てるしかなくなった。結果、同じ流行りの服や靴を競って買って、同じ流行の音楽を聴かないと安心できないような人が増殖し、多数から支持されるものが良いモノという勘違いが生まれて、ただ人が群がっているだけで、少数が好む価値がどこかに埋もれてしまってることさえ、忘れてしまったんです。それを見つけよう、探そうとしなくなった。人が均一化して、そのぶん、文化に怠惰になった。
 
 
 
真に価値のある情報は、人づてに伝えられてきたのだと語る井筒監督。しかし、インターネットや携帯電話が普及した現在は、当時よりも高度情報化が進み、誰もが必要な情報を間単に取り出すことができる環境が整っているように思えるのだが・・・。
 
 

アマゾンの河口で漂っているだけ

 
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 確かに現在は、誰もが豊富な情報に囲まれながら暮らしてるように見えるけど、しかしよくよく見てみれば、それらの情報は未整理、未分化のまま、年末晦日の福袋のワゴンセールのように放置されてるだけです。おまけに、皆がわかりやすいモノしか手にしないし、知らないものは欲しがらない。分からないモノは不要とすぐにゴミ箱行き。本来なら、人間という生き物は“掘り出し物の至宝”や、知らないコト、モノ、ヒトを知る“真理の探究”が好きなはずですが、新しいものをチャレンジするためには投資も必要だし、慎重になるのもわからなくはない。読み比べたり聞き比べたりしながら価値構成をしていく習慣もなくなっているのです。
 しかも、正しい価値、これぞ“宇宙の真理だ”というものを伝えてくれるガイドも必要なのに、目の前にあるのは広大な“アマゾン”の河口だけ。アマゾンって、あのamazonもですよ(笑)。 アマゾンの河口なんて、東京から小田原ぐらいまでの距離があるから、ものすごい数の本や音楽や映画の情報がある。でも、どれを選べばよいかわかるわけがない。また、そこから源流をたどっていこうともしない。たとえば音楽なら、好みに合うミュージシャンの曲を追いかける程度で、そのミュージシャンが影響を受けたであろう偉大なアーチストや、その周辺の音楽に触れようとはしないですね。そんな時間もないし、執念もない。やっているのは一部のマニアやミュージシャンだし、映画で言えば、70年代のニューシネマを見てみようっていうのは、映画オタクしかいない。映画はオタクの趣味なんかじゃなくて、その人の人生途上の寄港地のようなモノ。その源流までも見据えて解き明かしてくれる評論家や書物ももう存在しなくなったしね。時々、「映画この100本」みたいな棚卸し特集が組まれることもあるけれど、いつも同じものばっかり。その時点でお終い、見限られてる。価値を見いだせるのは、101本目からなのに。「映画芸術この5万本」くらいになれば、ガッツリ見てみようと思うけどね。ボクも商業映画作ってるより見てる方が愉しいし(笑)。
 インターネットも半信半疑な情報が多過ぎます。あのネットの小窓からは、源流にたどり着けないし、5万本を一括で見ることもできません。大きなアマゾン川でサーフィンして、よそ見してるうちはまだしも、やがて価値や真理も見失って溺れてしまう(笑)。これも人間が市場原理に縛られ、コントロールされていることの一つの表れでしょ。皆から支持を集める“売れ線”の棚だけしっかり整備されていて、価値があるにも関わらず支持されないものは放置され、さらに探しづらい状況に陥っています。
 
 
 
 

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