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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW


 
プロフィール 1946年神奈川県生まれ。1971年、慶応義塾大学経済学部より本田技研工業に入社。13年間の勤務の後、BMWジャパンへ転職。徹底的なマーケティング理論、販売戦略を学び、やがてミツワ自動車に入社し、販売担当の取締役に就任。ディーラーに対するきめ細やかなサポート、ステータス感の創出など、日本型経営と欧米型ビジネス思考を組み合わせた独自の販売方法を策定。きめ細かいマーケティング戦略を立てるなど、大改革を指揮し成功を収める。1995年にポルシェジャパンの代表取締役に就任。1985年のミツワ入社当時は年間400台だったポルシェの国内販売台数を、2007年には4,000台に引き上げた。
 
 
 
 「ブランド」 とはいったい何か? ありていに言えば、企業や商品の市場価値をも左右するイメージ・コントロールと言えるかもしれない。しかし、身近に 「ブランド」 という言葉が根付いている今、何を持って理想的なブランドづくりと言えるのか。その確かな答えを持っている自動車メーカーがある。誰もが知る名車を生み出し続ける、ポルシェだ。数ある高級車の中でも、やはりポルシェは別格と言ってもいい。スーパーカー世代だけでなく、老若男女問わず、憧憬の対象となり続けている魅惑のマシン。そのポルシェブランドを日本で確立し、ブランド性を高め守り続けてきたキーマン、ポルシェジャパン代表取締役社長の黒坂登志明氏はどのようにしてポルシェブランドを築き上げたのか。じっくりと氏の足跡をたどりながら、国際視点でのブランディング論を分析してみることにした。
 
 
 

国際色豊かな仕事をしたかった

 
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 そもそも、なぜ私がポルシェに入社したのか? まずはそこからお話ししていくべきでしょうか。
 私は神奈川県の横須賀で生まれ育ちまして、高校を卒業する頃までは横須賀にいました。ご存じのとおり横須賀は米軍基地がある関係で、国際色豊かな街でしてね。外国の方が身近にいることが当たり前の環境で育ってきたのです。ですので、就職に際しても 「国際的な仕事がしたい」 と考えていました。
 就職に際しては、松下・ソニー・本田技研に絞って就職活動をしていましたね。私は音響が好きなので最初はソニーに入ろうとしたのですが、まずソニーは面接が遅かったので、その前に松下と本田技研を受けました。三次試験がともに同じ日に重なってしまいまして、当時、「松下には慶応から40人は行くと聞いた。本田技研は慶応出身者が少ないそうだ」 と言われていたので、「松下よりも本田技研のほうが役員になれるチャンスがありそうだな」 と考えて本田技研を選んだというわけです(笑)。
 安易な考え方に思われるかもしれませんが、当時、私には決めていたことがありましてね。人生においてすでに二度の大きな失敗をしてきましたので、三度目の大きな失敗はしたくないと。その失敗とは、本命の大学に入れなかったことと、初恋の人に告白をせずにそのまま今に至っていること(笑)。 だからね、就職では将来的にマネジメントができる可能性が高いところを選びたかった。もちろん、その後の努力も大事ですが、人生においては何かそういう自分だけの理由みたいなものが、すごく大事でしょう? 
 たとえば女性との出会いにおいても同様で、私の場合、家内との出会いなんて、電車でたまたま目の前に座った女性に一目惚れしたのがきっかけですから(笑)。 彼女が乗り込む電車にわざと乗って、半年間ずっとラブレターを書き続けて。それが一生繋がっていく出逢いかどうかなんて、そのときはわからない。でも、人生を変えるきっかけはどこに転がっているかわからない。
 
 
 
 

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