
インタビュアー 水野裕子(タレント)
山本 水野さん、巻き芯なんてよくご存じですね!
水野 私は愛知県一宮市出身でして。一宮市は繊維産業の街ですから、友人や知人、親戚にも繊維業の方が多く、幼い頃からよく話を聞いたり工場で遊んだりしていたんです(笑)。繊維業は私にとって身近な業界なので、本日は山本社長とお話しできるのを楽しみにしてきました。山本社長は、業界歴が長いとお聞きしています。
山本 はい。以前は某大手アパレルに勤めていました。その後、ユニフォームを扱う商社に転職したんです。当時は縫製の知識がありませんでしたから、夜間に裁断の専門学校に通いながら働きました。そこで長く勤めていたものの、解散することになってしまいまして。ちょうど、取引先であった長野県にある株式会社カミイナからお声がけいただき、2001年に入社することになったんですよ。私は東京支店の立ち上げに一から携わり、現在に至ります。気付けば、この業界に入ってもう40年近くになりますね。

山本 バスや鉄道会社、レディース物など、依頼を受け50~60社の制服やユニフォームを手がけています。制服やユニフォームは、企業の顔でありイメージそのものですから、重要な仕事と自負して、企画から生産、納品まで一貫して行っていますよ。これまで、全国の縫製工場や職人さんたちと連携しながら製品を納めてきました。ただ近年、長年お世話になってきた縫製工場や職人さんが高齢化に伴い縮小、廃業するところが増えてきたんです。