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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

日本で使われてきた
優れた医療機器を世界に

 

各種機器の扱いをマスターし、教育係も経験

 
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石黒 加茂社長のご経歴と、会社立ち上げまでの経緯を教えていただきたいです。
 
加茂 出身は福岡県で、大学進学に伴い上京しまして。大学では電子工学を学び、放送関係の仕事に就きたいと思っていました。しかし、卒業時期が第二次石油ショックと重なり、就職先があまりなかったのです。それで医療機器のメーカーに就職し、入社後はコンピュータ部門に配属され、専門的な知識や技術を身に付けました。
 
石黒 ずっとその会社にいらっしゃったのですか?
 
加茂 いいえ。最初の会社は国内のメーカーに勤めていたものの、次に外資系であるドイツの会社、シーメンスヘルスケアジャパン株式会社で勤務し、GEヘルスケアジャパン株式会社からお誘いを受けて転職しまして。そこでは、初期のCTから現在も使われているモデルまで、さまざまなCTを扱い、MRIは国内1号機から修理、教育などに携わっていました。海外研修や全国各地への出張などで年中忙しかったですね。
 
石黒 世界を飛び回っておられたのですね。その後の歩みも気になります。
 
加茂 アメリカのメーカーが日本支社を立ち上げるので来てほしいと誘われ、転職しました。以前の会社ほど出張が多くないと聞いて入社したものの、途中からまたあちこち飛び回る日々が始まりまして(笑)。でも私の実力をきちんと評価してくれて、日本初の装置などを任せてもらうなど、やりがいのある仕事でした。
 
石黒 すごいですね! 次々に新しい会社から声をかけられて、入社後は国内外で活躍されたんだ。まさに現場で本物のノウハウを習得されたと。ある意味、叩き上げでやってこられたんだなぁ。
 
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加茂 その後は、MRIの教育を任されましてね。それまで培った技術や集めたデータを基に、人材の育成を担当することになったんです。
 
石黒 後進の育成は大事ですよね。でも、十分なスキルがあったのでスムーズだったのではないですか?
 
加茂 ところが、「半年の期間で一人前に」との要請だったので、1人で毎週、半年以上もトレーニングを続けなければいけなかったのです。朝から晩まで喋りっぱなしで、風邪を引くなどしても休むことができません。ひたすら教えることに徹しましたね。
 
石黒 それはハイペースですね! 私も人前で喋る仕事をしているので、大変さがよくわかりますよ。
 
加茂 大変ではあったものの、約40年と長く医療機器業界に勤めたことで、どんな機器でも扱えて、薬事申請などもできるようになりました。そして2021年に独立を果たしたんです。
 
石黒 十分な準備期間を経ての独立だったんですね。