留学先から憧れていた日本企業へ

インタビュアー 宮地真緒(女優)
郡山 私は中学卒業後にアメリカとオーストラリアの高校に留学して、卒業後はブリスベンの建築専門学校で広場や公園などの公共空間をデザインする、ランドスケープなどを学んでいたんですよ。
宮地 その年齢から海外で学ぶというのは素敵な経験ですね。英語も身につけられますし。
郡山 そうですね。自分にはどんな仕事が合うのだろうと一度帰国し、あえて派遣で多くの仕事を実際に経験してみました。その中で強く興味をひかれたのが建築やインテリアのデザインだったんです。ミャンマーのヤンゴンの大学へ留学していた兄がタイの建築学について教えてくれ、調べてみるとおもしろそうだった。それでバンコクの大学へ進学することに決めました。
宮地 タイですか、おもしろそうですね。
郡山 本当に素敵な国なんですよ。世界の中継地であるバンコクは多国籍で世界中に友だちができました。在学中は、アジア中の有名ホテルなどを見て回りました。特に心惹かれる建物があり、調べると、なんと日本のデザイン事務所の仕事でした。もう、すぐにその事務所にラブレターのように熱い思いを込めた手紙を送ったところ、新卒で雇ってくれたのです。日本でちゃんと就活した国内外の一流大学卒ばかりの社員の中で、私だけ異色の経歴でした(笑)。
宮地 すごい行動力ですね! 入社後は希望したデザイン職にすぐに就けましたか?
郡山 最初は小さな模型づくりなどが主でした。業界世界トップを誇る会社だったので、仕事の一つひとつのクオリティがとても高くて一切妥協がない。毎日めちゃめちゃ怒られてやり直しばかりで何度も男泣きしましたが、3年目で初めて一軒家のデザインを、その後は星付きのホテルなどのデザインを任せてもらえました。そのときもめちゃめちゃ怒られてました(笑)。そして、30歳を過ぎて独立しプレスプレイを設立しました。師匠には本当に感謝しております。